京都府城陽市にある前方後方墳が、芝ヶ原古墳(しばがはらこふん)。久津川古墳群(くつかわこふんぐん)の支群、芝ヶ原古墳群の1基で、建造されたのは女王・卑弥呼(ひみこ)が治めた邪馬台国があった3世紀前半〜中期。弥生時代から古墳時代への過渡期のもので、日本最古級の古墳ということになります。
3世紀前半に焼成された弥生式土器も出土
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芝山古墳(12号墳)の形状は、前方後円墳出現前の、前方後方墳。
宅地開発などで、前方部が削平され道路となり、後方部のみ現存しています。
前方後方墳は、弥生時代の前方後方形墳丘墓が、弥生時代終末期に周壕を築いたり、突出状の祭壇を設けるかたちに発展したもの。
芝山古墳は、昭和61年6月〜8月に発掘調査が行なわれましたが、調査時にも「日本最古の古墳では!?」と地元では新聞などで話題となりました。
東西19m、南北21mの方丘部に方形の突き出しが付属する前方後方墳で、現存する方丘部の中央に組み合わせ式の木棺が収められ、副葬品として銅釧(どうくしろ=銅製の腕輪)2個、四獣形鏡(しじゅうけいきょう=銅鏡)1面、硬玉製勾玉8個、碧玉製管玉187個、ガラス製小玉1276個が出土しています(出土品は国の重要文化財に指定)。
出土した土器は、3世紀前半(西暦200~250年)頃、近畿地方で焼成された庄内式土器で、弥生土器と土師器(古墳時代の土器)の両方の特徴を有する、まさに過渡期の器です(現在の豊中市、かつての庄内村で昭和10年に大量に出土したことでその名があります)。
邪馬台国が機内にあったとすれば、女王・卑弥呼も、この庄内式土器を使っていたと推測できますが、芝山古墳から出土した庄内式土器はいわゆる「庄内式」の中でも古い様相を呈していたのです。
木棺内から見つかった銅釧は、丸い輪の部分に、放射状に72本の筋をつけ、筋の先端は1本間隔ごとに突起を付けていますが、この形状も弥生時代につくられたカサガイ(笠貝・傘貝)の腕輪を忠実に模したもの。
しかもこの銅釧、完形品として全国唯一の出土という、極めて貴重なもの。
芝ヶ原古墳は、こうした出土品から「古墳発生の時期」や「古代国家の誕生」という謎を解く鍵となったのです。
銅釧などの出土品は「城陽市歴史民俗資料館」で展示されるほか、古墳周辺は史跡公園として整備されています。
史跡公園に置かれた人物パネルは、芝ヶ原古墳の被葬者で、地域を治めた首長が、権威の象徴として銅釧をかがげる姿がモチーフです。
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日本最古級の「出現期古墳」が、京都府に! それが芝ヶ原古墳です | |
所在地 | 京都府城陽市寺田大谷78-2 |
場所 | 芝ヶ原古墳 |
電車・バスで | 近鉄久津川駅から徒歩10分。JR城陽駅から徒歩15分 |
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