川端康成の小説『雪国』の冒頭に登場する名フレーズ「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」で知られる上越線・清水トンネル。複線化した現在は上り線に使われているのが昭和6年9月1日開通の清水トンネルで、トンネル出口の両側には標高差を克服するループ線があり、ダブルループを楽しむことができます。
トンネル前後にループ線を配置してトンネルの長さを短縮
江戸・関東と越後を結ぶ交易ルートには上越国境の谷川岳が立ちはだかります。
佐渡で採掘された金は、この上越国境を三国峠を越えて関東に運ばれましたが、明治日本の近代化を受けても、日本海側最大の都市・新潟と東京を結ぶ鉄道の整備ははかどらず、長野回りの信越線を利用していました(明治26年4月1日、碓氷峠をラックレールのアプト式で克服、上野駅〜直江津駅が全通)。
全長9702mの清水トンネルは、当時、国内1位、世界9位という長大な鉄道トンネルで、大正11年に着工、完成まで9年の歳月を要しています。
しかも死亡者(殉職者)48人、重軽傷者2720人という大きな犠牲を生んでいますが、新潟〜東京の移動時間は4時間も短縮。
上越国境の三角地帯を貫く清水トンネルですが、トンネルの長さを少しでも短縮するために、線路を標高の高い山腹まで導く必要があります。
そのために用いられたのがトンネル前後のループ線で、群馬県側の湯檜曽駅(ゆびそえき)を出た直後の湯檜曽ループ線、新潟県側は、越後中里駅〜土樽駅間の松川ループ線で高度差を克服しています。
後に複線化する際に、新清水トンネルを掘削(昭和38年着工、昭和42年完成)していますが、こちらは掘削技術の向上もあり、全長1万3500mと清水トンネルよりも3800mも長くして、ループ線を使う必要がなくなっています(そのため、下り線の土樽駅は地下のモグラ駅になっています)。
現在、清水トンネルは上り線、新清水トンネルを下り線に使っているので、ダブルループの旅が楽しめるのは、越後湯沢側から水上方面に向かう上り線のみということに。
ただしループ線はトンネル部分も多いため、実際にぐるぐる回っている実感はあまりないかもしれません。
それでも松川ループを過ぎた土樽駅手前には橋脚がレンガ造りの毛渡沢橋梁(けどさわとうりょう/橋長217.4m)などもあって十分に楽しむことができます。
群馬県の郷土かるた『上毛かるた』にも、「ループで名高い清水トンネル」と詠まれています。
ちなみに、川端康成の『雪国』冒頭、「国境の長いトンネル」ですが、国境を「くにざかい」と読むのか、はたまた「こっきょう」とするのかは、今も論争が続いています。
「くにざかい」とするのが多数派ですが、上越国境(じょうえつこっきょう)ということから「こっきょう」説も納得がいきますが、国文学的には「国境の山々」は「くにざかいのやまやま」と読むのが一般的。
さてさて、皆さんは記事冒頭の「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」をどう読んでいました?
上越線の「国境の長いトンネル」前後でダブルループを楽しむ | |
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