鉄道の発達、とくに私鉄は社寺参詣の足として誕生した路線が数あります。日光へも東武日光駅が昭和4年10月1日に開業していますが、昭和7年8月28日、日光登山鉄道がケーブルカーを馬返〜明智平に開通させ、東武日光駅から路面電車で馬返へ、さらにケーブルカーで明智平へという観光ルートが誕生しています。
路面電車とケーブルカーを乗り継いで明智平へ!

明治43年8月10日、日光電気軌道が、日光停車場前(現在のJR日光駅)〜岩ノ鼻間に路面電車を開業、大正2年10月15日には 岩ノ鼻〜馬返を延伸しています。
昭和7年8月28日、日光登山鉄道がケーブルカーを馬返〜明智平に開通させ、戦前の日光ブームが誕生したわけです。
昭和8年11月3日には日光登山鉄道が明智平〜 展望台間にロープウェイを開業させ、鉄道、路面電車、ケーブルカー、ロープウェイという現在の箱根ゴールデンコース顔負けの観光ルートが生まれ、日光が人気の観光地に。
このルートは、戦後の昭和22年6月1日、東武鉄道に継承、路面電車は東武日光軌道線となって存続。そんななか、昭和29年に日本で2番目の有料道路としていろは坂が誕生(現・第一いろは坂)、さらに昭和40年に第二いろは坂が完成し、モータリゼーションの波が日光にも押し寄せ、時代は高度経済成長へと突入。
車社会の到来で、「日光電車」として親しまれた東武日光軌道線(路面電車)も昭和43年2月25日に廃止。
馬返駅と明智平駅を結んだ東武日光鋼索鉄道線(ケーブルカー)も昭和45年4月1日に廃止され、現在は明智平ロープウェイが残るのみとなっています。
東武日光軌道線の廃線跡も明瞭ではなく、廃線跡を探る人もほとんどいません。
東武日光駅前には東武日光軌道線で活躍した100形電車が保存、東武博物館に200形電車が展示されているほか、岡山の市内を走る路面電車(岡山電気軌道)で、「KURO」、「東武日光軌道線復元号」として2両が現役で使われ、数少ない日光を走った路面電車の名残りとなっています。
東武日光鋼索鉄道線(ケーブルカー)は、明智平駅跡がレストハウスになっていて、遺構の一部が現存、かすかながら、昭和の観光地の名残りを感じることも可能。
日光では、こうした鉄道、路面電車、ケーブルカー、ロープウェイを乗り継ぐというワクワク、ドキドキの旅は、昭和40年代に効率の良い自動車、バス旅に代わっていったのです。

【昭和レトロな旅】 日光に路面電車、ケーブルカーが走った時代 | |
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