平成19年7月に世界文化遺産「石見銀山遺跡とその文化的景観」に登録された石見銀山の大森ゾーン(島根県大田市)で、明和3年(1766年)に創建された寺が羅漢寺。石見銀山の坑夫の霊を供養するために、江戸城大奥の女中などの寄進を受け、25年の歳月をかけて刻まれた五百羅漢を守護するために堂宇が建て、寺を建立したもの。
境内の石窟に五百羅漢を安置
『銀山旧記』によれば、石見銀山では江戸時代の全盛期には20万人もの労働者が働いていたとされますが、10歳にも満たない年少時からの重労働で、その平均寿命は30歳くらいだった(鉱夫は30歳で長寿の祝)と推定されています。
地中深く掘り進むため、酸欠、粉じん、灯りとして使うカンテラからの油煙のための「けだえ」(気絶え)という職業病があったのです。
4年ほどでじん肺(粉塵や微粒子を長期間吸引したことが原因の肺疾患)を患うことが多かったとか。
元文年間(1736年~1740年)、大森代官所役人で同心を勤める中場五郎左衛門が観世音寺(真言宗代官所の祈願所)へ参詣し、石像十六羅漢を拝んだ際、「五百躯の羅漢を安置したら、さぞ壮観」と住職に相談したのが発端。
石見国内はもとより、中国一円で浄財を募りましたが思うように集まりませんでした。
そんな時、銀山付役人(代官所役人)で経済的に裕福な中山荘兵衛門が土地と田畑を寄進、さらに江戸湯島・霊雲寺(羅漢寺の本山)の光海上人に援助を仰ぎ、徳川宗武(御三卿・田安家の初代当主で第8代将軍・徳川吉宗の次男)や大奥の女中の寄進を受けて完成しました。
境内の石窟に温泉津(ゆのつ)の石工、坪内平七一門の人々が刻んだ五百羅漢が今も安置されています。
境内に通じる石造の反り橋も、実に見事。
羅漢寺五百羅漢は、世界文化遺産「石見銀山遺跡とその文化的景観」の構成資産にもなっています。
羅漢寺 | |
名称 | 羅漢寺/らかんじ |
所在地 | 島根県大田市大森町イ804 |
関連HP | 羅漢寺公式ホームページ |
電車・バスで | JR大田市駅から石見交通バス川本線(世界遺産センター行き・大森行き)で28分、大森下車 |
ドライブで | 山陰自動車道(仁摩温泉津道路)仁摩・石見銀山ICから約7.8kmで世界遺産センター |
駐車場 | 交通規制のため世界遺産センター駐車場(石見銀山駐車場400台/無料)を利用し、路線バスで大森バス停へ |
問い合わせ | 羅漢寺 TEL:0854-89-0005 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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