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佐賀県立名護屋城博物館

佐賀県立名護屋城博物館

豊臣秀吉が起こした朝鮮出兵(文禄・慶長の役/1592年〜1598年)により、それまで築き上げてきた、朝鮮半島との交流は途絶。佐賀県立名護屋城博物館はそうした過去の反省に立ち、日本列島と朝鮮半島との交流の歴史を紹介し、双方の交流と友好をテーマに朝鮮出兵の日本側最大の史跡である名護屋城跡に建てられたミュージアムです。

日本と朝鮮半島の歴史をじっくりと検証

常設展示では、原始・古代から近現代にいたる日本列島と朝鮮半島との交流の歴史をメインテーマとし、日本と朝鮮半島の歴史を「名護屋城以前」、「歴史の中の名護屋城」、「名護屋城以後」、「特別史跡 名護屋城跡並びに陣跡」など4コーナーに分けて詳しく解説。
豊臣秀吉による朝鮮侵略は、日本では文禄・慶長の役と呼ばれていますが、韓国では壬辰・丁酉倭乱(イムジン チョンユウェラン)。
常設展示のなかで中心となる展示が朝鮮出兵を解説する「歴史の中の名護屋城」です。

名護屋城の天守台跡から出土した名護屋城跡出土金箔瓦などは、往時に豪壮な天守が聳えていた証。

秀吉が淀と暮らした山里丸からは茶室跡も発掘され、そこから出土した天目茶碗(てんもくぢゃわん=天目釉と呼ばれる鉄釉をかけて焼かれた黒い茶碗)も展示されています。

「鼻請取状」は、朝鮮出兵で、「戦功の証」として討ち取った敵の鼻や耳をそぎ、それを軍奉行に提出。
軍奉行はその数を確認し、武将に「鼻請取状」という証拠の書類を発行しています。
鼻や耳は京に運ばれ埋葬されたが、これが豊国神社門前にある史跡耳塚。
戦争の悲惨さを伝える「鼻請取状」も展示されているのでお見逃しなく。

また、「名護屋城以後」では、徳川幕府と李氏朝鮮との交流で、歓待された朝鮮通信使(正式名称は朝鮮聘礼使)などを紹介しています。
朝鮮通信使は、慶長12年(1607年)、徳川秀忠時代の日朝国交回復、捕虜返還に始まり、江戸時代に合計12回の来訪を数えています。
朝鮮通信使は、ユネスコの「世界の記憶」(Memory of the World)遺産に登録されています。

秀吉の朝鮮出兵の舞台となった名護屋城と諸大名の陣跡は、国の特別史跡に指定。
天下統一をとげた豊臣秀吉が文禄・慶長の役のためにわずか5ヶ月で築城したといわれる名護屋城は、面積17haで当時は大坂城に次ぐ大規模な城。
城にも朝鮮出兵時には10万を超す人々が陣取っていたのです。

佐賀県立名護屋城博物館
名称 佐賀県立名護屋城博物館/さがけんりつなごやじょうはくぶつかん
所在地 佐賀県唐津市鎮西町名護屋1931-3
関連HP 佐賀県立名護屋城博物館公式ホームページ
電車・バスで JR唐津駅大手口バスセンターから昭和バス波戸岬行きで40分、名護屋城博物館入口下車、徒歩5分。またはタクシーで30分
ドライブで 厳木多久道路牧瀬ICから約39km。または、西九州自動車道(福岡前原道路)前原東ICから約44km
駐車場 63台/無料
問い合わせ 佐賀県立名護屋城博物館 TEL:0955-82-4905
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

取材・画像協力/佐賀県観光連盟

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