静岡県島田市の大井川に架けられた全長897.422mの木造橋が蓬莱橋(ほうらいばし)。明治3年、明治新政府から大井川の渡船架橋の許可がおりると、大井川に最初に架けられた有料橋が、蓬莱橋。明治12年のことで、通行料は片道5厘でした。現在の橋は、昭和40年に架け替えられたもの。
ギネスブック認定の世界一の木造歩道橋
現在の橋も橋脚こそコンクリートパイルですが、梁の上に3本の台持木を置き、桁木、均し木をのせて板を敷き、ボルトで止めるというシンプルな構造。
長さ897.422m、幅員2.7mは、木造橋としては日本一の長さで、車輌ならバイクまでは通行可能となっています。
「木造歩道橋として世界一の長さ」としてギネスブックにも掲載。
近年では、長い木=長生きの橋、全長897.4mから「やくなし」(厄無し)と喧伝(けんでん)され、橋のたもとの蓬莱橋イベント広場には、平成30年に物産販売所「蓬萊橋897.4(やくなし)茶屋」もオープンしています。
昭和53年公開の映画『男はつらいよ 噂の寅次郎』で寅さんが旅の僧(大滝秀治)とすれ違うシーンの撮影はここ。
平成26年の映画『超高速!参勤交代』のロケにも使われるなど、時代劇のロケ地としても人気です。
小説『ゴールデンタイム』(竹宮ゆゆこ著)では、 主人公・多田万里の思い出の橋となっています。
江戸時代の時代劇に蓬莱橋、あるいは茶畑からの富士山という風景が登場しますが、いずれも明治以降に生まれた景観で、時代考証的には明らかに間違っています。
牧之原台地開拓、茶畑造成と蓬莱橋
蓬莱橋架橋の背景には、最後の将軍・徳川慶喜(とくがわよしのぶ)護衛の徳川藩士駿府新番組などに牧之原台地の1455ha、職を失った大井川の川越人足に202haの土地が払下げられたことがあります。
武士と川越人足の殖産興業で、弱酸性で水の不足がちな牧之原台地に茶が植栽され、焼津からの輸出品へと成長したのです。
明治4年の時点で、静岡県に暮らした旧幕臣総数は1万3764人。
家族や従者も含めれば数万人規模が、新政府に仕えるか農民や商人になるかの選択を迫られ、勝海舟などの呼びかけで、徳川慶喜、徳川亀之助の警護役の駿府新番組が、金谷原(牧之原)開墾方に改組され、牧之原台地の開拓を担ったのです(300戸余りの士族が新規開墾のために入植)。
こうした士族と、明治維新後は渡船の営業で職を失った川越人足100戸が開墾地に入植(勝海舟は、明治8年に官職を辞した後も、牧之原台地開拓士族を物心両面で援助し、平成30年に、島田市茶業振興協会島田支部によって蓬莱橋イベント広場に勝海舟の銅像が建立)。
東海道を旅する人の便宜を図るというだけでなく、当初は島田側と金谷・牧之原台地を結ぶアクセス路としても蓬莱橋は重宝されたのです(明治維新後、大井川には渡船が認められていますが、渡船よりも架橋が望まれたのです)。
明治6年に最初の茶摘みが行なわれ、蓬莱橋が架橋された明治12年には、横浜の製茶共進会に「川越人足開拓の茶」を出品し、入賞するまでに発展、橋の必要性が高まったことがよくわかります。
橋の名も、駿河静岡藩主・徳川亀之助(後の徳川家達)が明治3年4月、大井川の堤防を視察の際、牧之原台地を開拓する旧幕臣の中条潜蔵に「農は里の宝、向こうの山は宝の山、皆で力を合わせ宝の山を切り開け」と激励したことに由来するのだとか(その時、徳川亀之助は7歳です)。
明治22年に東海道線が開通し、茶荷物が汽車輸送となってからも、買い物、資材の導入などに活躍したのがこの蓬莱橋なのです。
蓬莱橋 | |
名称 | 蓬莱橋/ほうらいばし |
所在地 | 静岡県島田市宝来町地先 |
関連HP | 島田市観光協会公式ホームページ |
電車・バスで | JR島田駅から徒歩30分 |
ドライブで | 東名高速道路吉田ICから約7km |
駐車場 | 26台/無料 |
問い合わせ | 島田市観光協会島田案内所 TEL:0547-37-1241 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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