静岡県浜松市北区三ヶ日町、奥浜名にある高野山真言宗の古刹が、摩訶耶寺(まかやじ)。寺伝によれば、神亀3年(726年)、行基の創建。平安時代末期、一条天皇の勅願で、千頭峯(せんとうがみね)から現寺地に移っています。現存する総欅造りの本堂は、寛永9年(1632年)の再建。
遠州屈指の古刹には、平安時代末期築庭という庭園も !
創建時には富幕山(とんまくやま)にあって新達寺と号し、新羅人(しらぎじん/渡来人)の新羅堂との関係から破却され(『日本記略』によれば820年に新羅人700人の反乱があった)、正暦年間(990年~994年)に千頭峯に移って真萱堂(まかやどう=宇志の瓦塔として跡地が現存)と称したのだとか。
現在地に堂宇を構え、庭園を築いたのは平安末期頃。
庭園は、座視鑑賞式池泉庭で、中世庭園を代表する名園。
古代には湖北に出雲系氏族が居住し、平安中期にはその子孫である浜名県主が伊勢神宮神領の神戸荘を所管しています。
その上司にあたる浜名神戸司は、藤原氏一族の大中臣氏(おおなかとみうじ)が務め、湖北五山のひとつ、大福寺を創建しています。
昭和32年に発見された平安時代末期築庭という庭園(静岡県の名勝)は、大中臣氏の館跡。
つまり、大中臣氏が館の隣に寺を移したと推測できるのです。
寺の北側の千頭峯城は、南北朝時代に遠江南朝方の拠点のひとつ。
天正元年(1573年)、三方原の合戦で徳川家康を破った武田信玄は、その勢いで摩訶耶寺をも焼き払っていますが、その後、豊臣秀吉、徳川家康は寺領を安堵しています。
摩訶耶寺は旗本・大谷近藤家(近藤五家のひとつ)の菩提寺で、現存する本堂も初代・近藤用行(こんどうもちゆき/気賀近藤家を弟の用治に譲り、遠江国大谷で分家を立ち上げ)の寄進です。
山門の高麗門は徳川家康が浜名湖畔に築城した水城・野地城が廃城となる際、近藤用行の子・近藤用高(幕府の長崎奉行)が延宝9年(1681年)に移築。
宝物殿には国の重要文化財の木造千手観音立像(藤原時代初期の作)、木造不動明王立像(平安時代末期の作)と、県の文化財の阿弥陀如来像(平安時代末期の作)の三尊が並んでいます。
浜名湖の湖北五山の一山。湖北五山は、方広寺・奥山半僧坊、龍潭寺(りょうたんじ)、大福寺、摩訶耶寺(まかやじ)と初山宝林寺。
摩訶耶寺 | |
名称 | 摩訶耶寺/まかやじ |
所在地 | 静岡県浜松市北区三ヶ日町摩訶耶421 |
関連HP | 摩訶耶寺公式ホームページ |
電車・バスで | 天竜浜名湖鉄道三ヶ日駅から徒歩26分 |
ドライブで | 東名高速道路三ヶ日ICから約7km |
駐車場 | 50台/無料 |
問い合わせ | 摩訶耶寺 TEL:053-525-0027 |
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