旧唐人屋敷・福建会館
長崎県長崎市館内町にある長崎の居留地時代の歴史と文化を今に伝えるのが、旧唐人屋敷・福建会館。明治元年に中国・福建省の泉州出身者により創設された八閩会所(はちびんかいしょ)がルーツで、明治30年に改装され、福建会館と改称さ…
長崎県長崎市館内町にある長崎の居留地時代の歴史と文化を今に伝えるのが、旧唐人屋敷・福建会館。明治元年に中国・福建省の泉州出身者により創設された八閩会所(はちびんかいしょ)がルーツで、明治30年に改装され、福建会館と改称さ…
中国・清朝の対日政策の変更による唐船(中国商船)の往来の増加による密貿易対策として、元禄2年(1689年)、長崎各地に住んでいる中国人を集めて造られた外国人居留地が、唐人屋敷。その遺構のひとつが旧唐人屋敷・観音堂で、瓢簟…
長崎県長崎市館内町にある、鎖国時代の日本の交易を支えた中国人(唐人)たちの居留地に築かれた媽祖廟(まそびょう)の遺構が旧唐人屋敷・天后堂。天后堂(てんこうどう)は、元文元年(1736年)に、南京出身の人々が航海の安全を祈…
鎖国時代の長崎にはオランダ人の住む出島のほかに、中国人(唐人)の居住する唐人屋敷と呼ばれる居留地がありました。その跡地が旧唐人屋敷(館内地区)。中国・清朝が積極的に貿易船(唐船)を日本に送るようになると、密貿易は悩みの種…
鎖国政策の中、江戸時代の長崎(現・長崎県長崎市)には1万人もの中国人が暮らしていたと推測されていますが、元禄4年(1691年)、唐船(中国船)の船頭たちの願いが許可され、当時中国人の居留地だった唐人屋敷入口に建立された土…