大阪城公園・千貫櫓
大阪府大阪市中央区大阪城、国の特別史跡となっている大阪城公園で、大手門を守備する隅櫓(すみやぐら)が、千貫櫓。大手門を北側から防御する役割を担った2層の櫓で、元和6年(1620年)創建、国の重要文化財に指定されています。…
大阪府大阪市中央区大阪城、国の特別史跡となっている大阪城公園で、大手門を守備する隅櫓(すみやぐら)が、千貫櫓。大手門を北側から防御する役割を担った2層の櫓で、元和6年(1620年)創建、国の重要文化財に指定されています。…
東京都大田区池上にある日蓮宗の大本山、池上本門寺。弘安5年10月13日(1282年11月14日)、日蓮がこの地で入滅(臨終)したとされる地で、正式名は長栄山本門寺。もとは当地を治めた池上宗仲(いけがみむねなか)の邸宅で、…
「侘び寂び」の千利休、「へいげもの」の古田織部、「綺麗さび」の小堀遠州が俗にいう三大茶人。信長、秀吉、家康と関わりながら、三千家の祖となった千利休、茶道織部流の祖の古田織部、そのふたりを受け継いだ遠州流茶道の祖、小堀遠州…
京都府京都市北区紫野(むらさきの)、臨済宗大徳寺派の大本山・大徳寺の塔頭(たっちゅう)が孤篷庵。大徳寺の西端に建つ庵で、庵号の「孤篷」は「一艘の苫舟」の意で、小堀遠州(小堀政一)の号。小堀遠州が江月宗玩(こうげつそうがん…
滋賀県長浜市小堀町にあるのが小堀遠州出生地の石碑(小堀新介屋敷跡碑)。三茶人に数えられる小堀遠州(小堀政一)は、作庭家、城の建築などでも名高い大名ですが、天正5年(1577年)、近江国坂田郡小堀村に生誕。小堀遠州と通称さ…
滋賀県長浜市にある臨済宗大徳寺派の寺で、小堀遠州(こぼりえんしゅう=小堀政一)の菩提寺が近江孤篷庵(おうみこほうあん)。小堀遠州の菩提を弔うために、小室城主で息子の小堀正之が大徳寺から僧・円恵を招いて開山した寺。遠州が大…
滋賀県甲賀市水口町にある臨済宗妙心寺派の寺、大池寺(だいちじ)。寺伝によれば、天平年間(729~784年)に全国行脚の行基が日照りに悩む農民のため、灌漑用の4つの大きなため池「心字の池」を造り、そのほぼ中央に本堂を建てた…
滋賀県甲賀市水口町、水ロ藩2万5000石の居城だった水口城(みなくちじょう)の本丸跡に建つのが水口城資料館。かつての本丸・乾矢倉(いぬいやぐら)を復元した水口城資料館では、将軍上洛の際に宿館となった水口城の模型や、水口藩…
別名「甘棠園」(かんとうえん)とも呼ばれる福井県敦賀市にある江戸時代前期の庭園で国の名勝に指定されるのが柴田氏庭園。江戸時代前期、敦賀の豪農(庄屋)だった柴田権右衛門が絵師・狩野探幽に地割りを任せ、探幽の死後14年が経た…
備中高梁(岡山県高梁市)にある臨済宗永源寺派の古刹、頼久寺。永正年間(1504年〜1521年)、備中松山城主・上野頼久が足利尊氏の建てた安国寺を再興、寺号を安国頼久寺とした。国の名勝にも指定の頼久寺庭園は、小堀政一(こぼ…
もともとは亀山天皇(かめやまてんのう)が文永元年(1264年)に造営した離宮・禅林寺殿(ぜんりんじどの)があった地。仏門に入り法皇となった亀山法皇は正応4年(1291年)、無関普門(むかんふもん=大明国師)に禅林寺殿を下…
南禅寺大方丈前の庭園は江戸時代初期の代表的枯山水庭園。小堀遠州(こぼりえんしゅう)作の名庭で、虎の子渡しの庭と呼ばれています。砂と石と松で構成された庭は、石で虎を表し、白砂で表現した河を渡る姿となっていることがその名の由…
金地院(こんちいん)は、南禅寺の塔頭寺院のひとつで、応永年間(1394年〜1428年)に足利義持(あしかがよしもち)が洛北の鷹ヶ峯(たかがみね)に創建。慶長10年(1605年)頃に以心崇伝(いしんすうでん)が南禅寺塔頭と…
徳川家康が京都の守護と上洛時の宿泊場所として1603(慶長8)年に築造し、3代将軍・徳川家光が伏見城の遺構を移すなどして1626(寛永3)年に完成したのが二条城(元離宮二条城)。1867(慶応3)年に15代将軍・慶喜が大…
静岡市の中心に位置する二重の堀と美しい石垣に囲まれた、静岡市民憩いの場。かつて徳川家康が築城、余生を送った駿府城の跡で、駿府藩の藩庁。府中城や静岡城とも呼ばれています。日清戦争後の明治29年から終戦まで、静岡歩兵第三十四…
江戸城二の丸は本丸の東側に位置し、3代将軍家光の命で1630(寛永7)年に小堀遠州の手により遊行のための庭園を造成。家光と秀忠との茶会が催されています。2代将軍・徳川秀忠が死去した後の1636(寛永13)年には二の丸御殿…