小堀遠州出生地

小堀遠州出生地

滋賀県長浜市小堀町にあるのが小堀遠州出生地の石碑(小堀新介屋敷跡碑)。三茶人に数えられる小堀遠州(小堀政一)は、作庭家、城の建築などでも名高い大名ですが、天正5年(1577年)、近江国坂田郡小堀村に生誕。小堀遠州と通称されるのは、慶長14年(1609年)に遠江守(とおとうみのかみ)に叙任された官名から。

小堀遠州は、近江長浜の出身

父・小堀政次は長浜城主・羽柴秀長(羽柴秀吉の弟)の家臣、母は浅井氏の家臣・磯野員昌(いその かずまさ)の娘で、天正5年(1577年)に生誕。
徳川幕府が慶長検地の時に使った慶長7年(1602年)の年紀のある『江州坂田郡小堀村絵図』によれば、小堀新助殿屋敷が記され、その東南に「馬かけばんば」、「ばんば堀」があることがわかります。
小堀新助とは、小堀新助政次のことで、この小堀新助殿屋敷が小堀遠州出生地。
小堀新助、浅井氏滅亡後の長浜に着任してきた羽柴秀長に仕え、その家臣として、太閤検地の実施など、実務的な分野で頭角を現し、子の小堀政一も父に従って大和郡山、伏見(古田織部に茶の湯を学ぶ)、備中松山(関ヶ原の戦いの戦功で、父・小堀政次は備中松山城主に)など各地を巡り、関ヶ原合戦後の慶長9年(1604年)、亡くなった父の跡を継いでいます。

慶長13年(1608年)、家康の隠居先の駿府城普請奉行になり、従五位下遠江守に叙任。
名古屋城天守、将軍上洛の際の休泊所である水口御殿(滋賀県甲賀市水口町)、永原御殿(滋賀県野洲市永原)、伊庭御殿(滋賀県東近江市伊庭町)、柏原御殿(滋賀県米原市柏原)なども手掛けています。
金地院東照宮、金地院方丈南庭(鶴亀庭)、南禅寺本坊方丈南庭のほか、二条城の二之丸庭園も小堀遠州の作庭とされています。

元和5年(1619年)、小堀遠州(小堀政一)は故郷の近江湖北・浅井郡に1万石余の領地を得、正保4年(1647年)に死没。
子の小堀政之は、領地のひとつ、現・長浜市小室町に小室陣屋を築き、小室藩を立藩、天明8年(1788年)に改易されるまで、小室藩が続いていました。

小堀遠州出生地
名称 小堀遠州出生地/こぼりえんしゅうしゅっしょうち
所在地 滋賀県長浜市小堀町528
関連HP 長浜観光協会公式ホームページ
電車・バスで JR長浜駅から徒歩30分
ドライブで 北陸自動車道長浜ICから約2km
問い合わせ 長浜観光協会 TEL:0749-65-6521/FAX:0749-64-0396
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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