磯清水

丹後(たんご)の天橋立(あまのはしだて)は陸奥(むつ)の松島、安芸(あき)の宮島とともに「日本三景」に数えられる景勝地。約8000本の黒松林が続く砂嘴で、全長約3.6km、幅は20mから170m。白砂青松百選、日本の道百選、名松百選にも選出される地ですが、そんな天橋立の松並木の途中の砂州に湧く不思議な泉が磯清水です。

天橋立の砂州に湧く「名水百選」に選ばれた清水

海に囲まれた松林から塩分を含んでいない清水が湧き出すという不思議な場所で、環境省の「名水百選」にも選定。

平安時代の歌人・和泉式部(いずみしきぶ)も「橋立の 松の下なる磯清水 都なりせば 君汲ままし」と詠っています(実際は戦国時代に細川幽斎が詠んだ歌を、後世、和泉式部の歌として喧伝されたもの)。

1678(延宝6)年、丹後宮津藩の第2代藩主・永井尚長(ながいなおなが)は、「磯清水記」の碑を立てています。
碑の文は、儒学者で弘文院学士・林春斎の撰文。
「丹後国天橋立磯辺有井池清水涌出、蓋在海中而別有一脈之源乎、古来以為勝区呼曰磯清水、郷談有言和泉式部和歌曰 橋立農松農下奈留磯清水都奈利勢波君毛汲末志云々 式部従藤原保昌来当国其所伝称非無縁也 今応清水混海鹹而尋其水路新構幹欄以成界限永使勝区之名垂於不朽而考古之人無弁尋之疑」。

この碑文にも和泉式部の和歌の記述がありますが、和泉式部の夫・藤原保昌は丹後守として丹後に赴任しているので、和泉式部も間違いなく、天橋立に来ているでしょう。
しかし、『和泉式部集』など歌の記録はどこにも見当たりません。

碑文を記したのは、「日本三景」という記述を初めて残した林春斎。
藩主・永井尚長が、ちゃっかり、和泉式部伝承を使って、天橋立をPRしている感じもするのです。

碑を建立した永井尚長は、文人藩主として有名ですが、芝の増上寺で行なわれた徳川家綱法要最中(永井尚長が法要の奉行)に内藤忠勝に刺殺され、27歳の若さで死去。
尚長には嗣子がなく、また殺害された経緯から、永井家は改易になっています。

磯清水近くには天橋立神社(橋立大明神)も鎮座するので、時間が許せば参拝を。
文殊信仰が流行した平安末期から鎌倉時代にかけて、文殊堂境内鎮守として祀られたものとか。

 

磯清水 DATA

名称 磯清水/いそしみず
所在地 京都府宮津市文珠天橋立公園
関連HP 天橋立観光協会
電車・バスで 北近畿タンゴ鉄道天橋立駅から徒歩10分
ドライブで 京都従貫自動車道宮津天橋立ICから約5.5km
駐車場 市営天橋立駐車場(540台・有料)・智恩寺駐車場(100台・有料)など利用
問い合わせ 天橋立駅観光案内所TEL:0772-22-8030
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

 

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