小林虎三郎の碑
新潟県長岡市の郊外、悠久山公園にある蒼柴神社(あおしじんじゃ)に向かう参道の脇に、ひっそりとたたずむ小林虎三郎の碑(小林病翁の碑)。病翁(へいおう)とは、幼い頃から終始病気にさいなまれた自身を表して、後年虎三郎から改名し…
新潟県長岡市の郊外、悠久山公園にある蒼柴神社(あおしじんじゃ)に向かう参道の脇に、ひっそりとたたずむ小林虎三郎の碑(小林病翁の碑)。病翁(へいおう)とは、幼い頃から終始病気にさいなまれた自身を表して、後年虎三郎から改名し…
新潟県長岡市千手2丁目にある曹洞宗の寺が興国寺で、正保3年(1646年)の開山。山号は太平山。境内には「米百俵」の逸話で知られる、長岡近代教育の父で、明治3年、長岡藩の支藩から送られた米を売り払い、「国漢学校」資金に代え…
新潟県長岡市四郎丸にある曹洞宗の寺が昌福寺で、山号は万融山。河井継之助が軍事総督を務めている北越戊辰戦争時、負傷者を手当てする長岡藩の病院としても利用された寺で、戦後の明治2年5月1日には、長岡藩の文武総督・小林虎三郎が…
新潟県長岡市街を貫くメインストリート、大手通の角地にある「米百俵之碑」。もとは戊辰戦争の敗戦後、長岡藩の文武総督に任命された小林虎三郎が、昌福寺の本堂を間借りして開いた「国漢学校」を明治3年(1870年)6月15日、当地…
新潟県長岡市、ハイブ長岡(長岡産業交流会館)と県立近代美術館の間にあるのが米百俵の群像。山本有三の小説にもなった『米百俵』は、戊申戦争(ぼしんせんそう)後、飢饉で苦しんでいる長岡藩に支藩の三根山藩から送られた100俵の義…