興国寺

興国寺

新潟県長岡市千手2丁目にある曹洞宗の寺が興国寺で、正保3年(1646年)の開山。山号は太平山。境内には「米百俵」の逸話で知られる、長岡近代教育の父で、明治3年、長岡藩の支藩から送られた米を売り払い、「国漢学校」資金に代えたという「米百俵」の逸話で知られる小林虎三郎(病弱のため小林病翁とも)と末弟・小林雄七郎の墓があります。

小林虎三郎、雄七郎兄弟が眠る

興国寺
小林虎三郎、小林雄七郎の墓

もともと小林虎三郎、小林雄七郎の2人は、東京・上野にある谷中共同墓地に葬られていましたが、昭和35年、小林家の菩提寺である興国寺の住職・中村良弁が、興国寺に移葬したもの。

北越戊辰戦争の敗戦後、教育による人材育成を説いて明治3年に「国漢学校」を開設した小林虎三郎は、長岡藩の大参事(家老的存在)に選出されますが、明治4年には、リウマチ、腎臓病、肝臓病などを患い、東京にいる末弟・小林雄七郎のもとへ病気療養に赴いていたのです。

明治10年、小林虎三郎は湯治先の伊香保温泉で熱病にかかり、8月24日、小林雄七郎の自宅で亡くなっています。
ちなみに慶應義塾に学んだ末弟の小林雄七郎は、大蔵省紙幣寮(現・国立印刷局)の官吏となり、第六十九国立銀行設立に尽力。
第1回衆議院議員に当選、故郷の長岡に育英団体「長岡社」(現・公益財団法人長岡社奨学会)を設立した人物です。

興国寺
名称 興国寺/こうこくじ
所在地 新潟県長岡市千手2-3-43
電車・バスで JR長岡駅から徒歩18分
ドライブで 関越自動車道長岡ICから約6.5km。または、長岡南越路スマートICから約10km。北陸自動車道中之島見附ICから約13km
駐車場 10台/無料
問い合わせ 興国寺 TEL:0258-33-2269
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

 

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