柏尾古戦場跡
山梨県甲州市勝沼町、国道20号沿いにあるのが、柏尾古戦場跡(かしおこせんじょうあと)。慶応4年3月6日(1868年3月29日)、新選組と会津藩兵からなる甲陽鎮撫隊(121名)は、因幡藩、板垣退助らの土佐藩、高遠藩からなる…
山梨県甲州市勝沼町、国道20号沿いにあるのが、柏尾古戦場跡(かしおこせんじょうあと)。慶応4年3月6日(1868年3月29日)、新選組と会津藩兵からなる甲陽鎮撫隊(121名)は、因幡藩、板垣退助らの土佐藩、高遠藩からなる…
北海道函館市の一角に建つのが戊辰戦争最後の戦いとなった箱館戦争で没した土方歳三(ひじかたとしぞう)終焉の地に立つ土方歳三最期の地碑。新選組副長として近藤勇を助け、のちに幕府主戦派の参謀格として連戦しながら北上。蝦夷共和国…
戊辰戦争(ぼしんせんそう)の最終戦、明治2年に現在の北海道函館市で展開した箱館戦争で死亡した、新選組副長・土方歳三(ひじかたとしぞう)、中島三郎助父子をはじめ約800人の旧幕府脱走軍戦死者の霊を弔うために函館山の麓に建立…
栃木県の県都、宇都宮(うつのみや)が栄えるようになったのは二荒山神社(ふたあらやまじんじゃ)の門前町であったため。およそ1600年前、宇都宮の始祖・豊城入彦命(とよきいりひこのみこと)を祀るために創建されたと伝えられてい…
信濃川右岸、新潟県長岡市渡里町にある浄土真宗本願寺派の寺が西福寺。明治元年・慶応4年(1868年)に起こった北越戊辰戦争時、5月19日の早朝に西軍(新政府軍=薩長連合軍)が信濃川を強行渡河しましたが、その際、一藩士によっ…
幕末の文政10年1月1日(1827年1月27日)、越後長岡藩の長岡城下(現・新潟県長岡市)に生まれ、その後の長岡藩を率いた河井継之助(かわいつぎのすけ)。父は120石の中級武士で、邸宅は御堀の外、神田橋門近くの現在の長岡…
会津市街地の東に聳える標高314mの飯を盛ったような形状の山が飯盛山(いいもりやま)。明治維新に至る戊辰戦争(ぼしんせんそう)の際に、15歳〜17歳の少年324名が、3隊に分けて編成された会津藩防衛隊が白虎隊(びゃっこた…
幕末の戊辰戦争(ぼしんせんそう)時に砲台が置かれた黒崎御台場(くろさきおだいば)。南部藩(盛岡藩)の大砲、二貫目銅筒を復元して配置しているのが黒崎砲台跡です。黒崎御台場の周囲には土塁を巡らせ、砲台場、火薬庫詰め所を配置。…
松前藩戸切地陣屋跡が正式名で、幕末の1855(安政2)年、徳川幕府が松前藩に築造を命じた西洋式の城郭。五稜郭は、日米和親条約締結による箱館開港に伴い、1857(安政4)年に着工していますからこちらの方が先輩格の城となりま…