二荒山神社

二荒山神社

栃木県の県都、宇都宮(うつのみや)が栄えるようになったのは二荒山神社(ふたあらやまじんじゃ)の門前町であったため。およそ1600年前、宇都宮の始祖・豊城入彦命(とよきいりひこのみこと)を祀るために創建されたと伝えられています。豊城入彦命は、第10代崇神天皇の第一皇子で毛野国(けのくに=栃木県、群馬県)を拓いた祖神です。

源頼朝や徳川家康も戦勝祈願に訪れた古社

二荒山神社
二荒山神社

社伝によれば、仁徳天皇41年(記紀に記された仁徳天皇の在位については4世紀ということになり、疑問符が付きますが)に毛野国が下野国(しもつけのくに)と上野国(かみつけのくに)に分けられた際、下野国国造に任じられた奈良別王(ならわけのきみ)が曽祖父・豊城入彦命を氏神として祀ったのに始まると伝えられています。

『日本書紀』には、豊城入彦命が「上毛野君・下毛野君の祖」と記されているので、古代、毛野国の豪族がヤマト王権に従属する過程を表しているのかもしれません。

平安時代編纂の『延喜式神名帳』に、「下野国河内郡 二荒山神社」とあり、宇都宮の二荒山神社がその式内社だと推測できますが、日光二荒山神社(にっこうふたらさんじんじゃ)もその論社で、長い間議論となっています。
現在は、ともに論社で、下野国一之宮ということに。
宇都宮の二荒山神社が下野国の「一之宮」と呼ばれていたのが宇都宮の地名になったという説もあります。

源頼朝や徳川家康など有名な武将が数多く訪れて戦勝祈願を行ない、社殿の増改築や貴重な宝物を寄進し、現在にいたっています。
『平家物語』によると、源平合戦「屋島の戦い」の際に、那須与一(なすのよいち)は、平家方軍船に掲げられた扇の的を射落とす際に「日光権現、宇都宮、那須の温泉大明神」と祈ったと記されています。

現存する社殿は、戊辰戦争後に明治新政府が再建

二荒山神社
二荒山神社

二荒山神社は、たびたび戦火や火災で社殿を失い、現存する建物は、慶応4年4月19日と23日、戊辰戦争(宇都宮城の戦い)による社殿焼失後の明治10年に明治新政府が仮社殿として再建したもの。

祭神を旧社地(荒尾崎=境外摂社の下之宮が鎮座)から現在地(臼ヶ峰)に移した際の遷座の儀式を伝える、1月15日の『春渡祭』、12月15日の『冬渡祭』は「おたりや」として有名。
毎年1月・5月・9月の28日には、宮比流(みやびりゅう)太々神楽が奉納されています。

また、境内にある須賀神社では毎年7月中旬、『天王祭』が盛大に斎行。
境内の「明神の井」は宇都宮の名水の一つとして有名です(飲用には煮沸して使用)。
春は桜の名所として知られ、夜桜見物を楽しむことができます。

なお、二荒山神社の石垣の一部には、江戸時代に大谷石を使って組まれたものがあり、日本遺産「地下迷宮の秘密を探る旅 大谷石文化が息づくまち宇都宮」の構成資産になっています。

二荒山神社
境内摂社の須賀神社
二荒山神社
太々神楽の奉納
宇都宮氏のルーツ
宇都宮氏も二荒山神社の社家から武家に転身し、第3代宇都宮氏当主・宇都宮朝綱は、源頼朝に「関東一の弓取り」と言わしめた腕前。
第8代宇都宮貞綱は元寇の際、鎌倉幕府による討伐軍の総大将として九州に赴くなど、宇都宮氏代々の武勇伝には事欠きません。
二荒山神社
名称 二荒山神社/ふたあらやまじんじゃ
所在地 栃木県宇都宮市馬場通り1-1-1
関連HP 宇都宮二荒山神社公式ホームページ
電車・バスで 東武宇都宮線宇都宮駅から徒歩15分
ドライブで 東北自動車道鹿沼ICから約9.8km
駐車場 二荒山駐車場(300台/有料)
問い合わせ 宇都宮二荒山神社社務所 TEL:028-622-5271
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
二荒山神社『天王祭』

二荒山神社『天王祭』|宇都宮市

2019年6月27日
二荒山神社『永代太々神楽祈祷祭』

二荒山神社『永代太々神楽祈祷祭』|宇都宮市

2019年1月6日

 

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