手繰ヶ城山古墳
福井県吉田郡永平寺町、松岡古墳群にある墳丘長129mの前方後方墳(あるいは前方後円墳)が、手繰ヶ城山古墳(てぐりがじょうやまこふん)。福井県では六呂瀬山一号墳(墳丘長140m/坂井市)に次ぐ巨大な古墳で、国の史跡。被葬者…
福井県吉田郡永平寺町、松岡古墳群にある墳丘長129mの前方後方墳(あるいは前方後円墳)が、手繰ヶ城山古墳(てぐりがじょうやまこふん)。福井県では六呂瀬山一号墳(墳丘長140m/坂井市)に次ぐ巨大な古墳で、国の史跡。被葬者…
福井県吉田郡永平寺町にある、えちぜん鉄道勝山永平寺線の駅が松岡駅。大正3年2月11日、京都電燈越前電気鉄道の駅として開業という歴史ある駅で、北側に建つ昭和8年頃に建てられた駅舎本屋は、志比堺駅(しいざかいえき)、永平寺口…
福井県吉田郡永平寺町にある、えちぜん鉄道勝山永平寺線の駅が永平寺口駅。大正3年2月11日、京都電燈越前電気鉄道の駅として開業という歴史ある駅で、地域交流館に改装された旧駅舎は、国の登録有形文化財に指定されています。永平寺…
寛元2年(1244年)、宋に4年間留学し天童山景徳寺の如浄禅師に師事した道元禅師が坐禅修行の道場として創建した古刹、福井県永平寺町の永平寺。末寺1万5000寺を数える曹洞宗の大本山で、樹齢600年を越える老杉の巨木に囲ま…
曹洞宗の大本山の永平寺。大庫院(だいくいん)は、庫裏(くり)にあたる堂で、1階には修行僧や参籠者の三度の食事を作る「典座寮」と呼ばれる台所となっています。道元禅師は食事の作法を尊ぶ、食事を整えることは、つまりは命を預かる…
曹洞宗の大本山、永平寺。七堂伽藍(山門、仏殿、法堂、庫院、僧堂、浴室、東司)のなかで、庫院の並びの南外れにあるのが浴室(よくしつ)。その名のとおりに浴場で、水により悟りを開いたといわれる跋陀婆羅菩薩(ばつだばらぼさつ)が…
大晦日の除夜の鐘のテレビ中継などで知られるのが、曹洞宗の大本山、永平寺の鐘楼堂。昭和38年に改築された鐘楼堂に重さ5トンという大梵鐘が吊るされています。朝・昼・夕方・夜の4回、修行僧が山門前の鐘楼堂で、鐘を撞いています。
曹洞宗の大本山、永平寺。道元が、寛元2年(1244年)に開いたのが永平寺で、開山の道元禅師の真廟で、道元以下第5世までの住職の像を安置し、永平寺歴代住職の位牌や全国の曹洞宗寺院住職のを安置するのが承陽殿(じょうようでん)…
曹洞宗の大本山永平寺。幾度かの戦火や火災で諸堂は何度も再建されていますが、現存する最も古い建築物が寛延2年(1749年)築の山門。五間三戸の中国唐時代様式の楼閣門で、両側には仏教の守護神である四天王を祀り、階上には釈迦如…
曹洞宗の開祖・道元は、森羅万象(しんらばんしょう)のすべてに仏があり、人間ひとりひとりの中にも、仏があると説きました。その教えを受け継いできた修行の日々が永平寺にはありますが、その七堂伽藍の中心となるのが仏殿です。俗世間…
曹洞宗の大本山、福井県永平寺町の永平寺。今も多くの修行僧がここで修行をしていますが、法堂(はっとう)は、本堂にあたる堂で、朝のお勤めなどの各種法要がこの建物で行なわれています。380畳敷のという広々とした堂内は、中央に本…
永平寺の傘松閣(さんしょうかく)は、昭和5年に創建、そして道元禅師の750回大遠忌の記念事業で、平成5年から2年の歳月をかけて再建されたもの。1階は参拝者の控室や研修・宿泊のための部屋で、2階が156畳敷きの大広間。別名…
曹洞宗の大本山、永平寺。唐門はかつて「勅使門」とも呼ばれ、皇室から使者を迎える時に開かれた門です。現在は皇族の入山時や貫首就任時のみに開門しています。門扉には皇室の御紋章の菊花紋が飾られています。立ち入ることはできません…