斎場御嶽
琉球開びゃくの始祖、アマミキヨが造った琉球七御嶽のひとつが沖縄県南城市にある斎場御嶽(せーふぁうたき)。王国最高位の女神官である聞得大君(きこえおおぎみ)の就任儀式「御新下り」が行なわれた琉球王国最高の聖地(御嶽)で世界…
琉球開びゃくの始祖、アマミキヨが造った琉球七御嶽のひとつが沖縄県南城市にある斎場御嶽(せーふぁうたき)。王国最高位の女神官である聞得大君(きこえおおぎみ)の就任儀式「御新下り」が行なわれた琉球王国最高の聖地(御嶽)で世界…
識名園は、1799年に造営された琉球王家最大の別邸。国王一家の保養のほか、中国皇帝の使者である冊封使(さっぽうし)の接待にも利用された場所です。国の特別名勝に指定され、世界文化遺産「琉球王国のグスク及び関連遺産群」の構成…
首里城近くにある玉陵(たまうどぅん)は、琉球王家の陵墓で、琉球王・尚真が父・尚円王(しょうえんおう)の遺骨を改葬するため、1501年に創建されたと伝えられています。2つのアーチ式の石門の中に、沖縄独特の屋根が付いた破風墓…
守礼門後方にある御嶽(うたき=琉球信仰の聖地)で、その前に拝所である石門が築かれており、それが園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん)。琉球王府の行事「東御廻り」(あがりうまーい=拝所を巡礼する行事)の第1番目の拝所…
沖縄本島うるま市、勝連半島のつけ根に近い南風原(はえばる)に建ち、平成12年12月に「琉球王国のグスク及び関連遺産群」として世界遺産に指定されたグスク(城)のひとつが勝連城(かつれんぐすく)。12〜13世紀頃、勝連按司(…
座喜味城(ざきみぐすく)は、沖縄本島中部の読谷村(よみたんそん)の小高い丘の上に位置し、15世紀の初めに、護佐丸按司(ごさまるあじ)が築城した城(グスク)。一帯は座喜味城跡公園として整備され、「続日本100名城」に選定さ…
1879年に沖縄県が誕生するまで長期にわたり琉球王国の中心だった王宮が首里城(しゅりじょう)。那覇市内では最も高い琉球石灰岩でできた丘陵地に建ち、東西約400m、南北約270mもの石垣に囲まれた城内には、10ほどの御嶽(…
首里城で歓会門(かんかいもん)が正門であるのに対し、「喜び誇る」の意から「ほこり御門(うじょう)」という別名のある久慶門(きゅうけいもん)は通用門として使われていた門で、おもに女性が出入りしていました。琉球王国の国王が寺…
首里城の登城ルートで、歓会門の先にある2番目の門が瑞泉門(ずいせんもん)で、石造のアーチを設けない楼門形式の門。その名の通り「めでたい泉」といわれる湧水「龍樋」(りゅうひ)が門前にあるため瑞泉門の名がついたもの。俗に「樋…
琉球王国時代最大の建造物が首里城の正殿(せいでん)で国殿、百浦添御殿(ももうらそえうどぅん)、唐玻豊(からはふう)とも呼ばれた建物。この建物が琉球王国の浦々までを支配する王国の象徴として君臨していました。創建年は不明です…
首里城の城郭内部に入る最初の門が勧会門(かんかいもん)。門の左右にはシーサー(獅子=悪霊を追い払う魔除け)が配され門を守っています。第3代の尚真(しょうしん)王時代(1477~1526年)には琉球王国の中央集権化が進みま…
首里城第4の門が広福門(こうふくもん)。漏刻門(ろうこくもん)の東側に建ち、別名「長御門(ながうじょう)」と呼ばれた門。広福(こうふく)とは、「福を行き渡らせる」という意味。門前は展望スポットでもあり、龍潭の池、沖縄県立…
瑞泉門の先にある首里城第3の門が漏刻門(ろうこくもん)。駕籠(かご)の使用が許可された琉球王国の高官が国王に敬意を払うために駕籠を下乗した場所がここで、「かご居せ御門(うじょう)」とも呼ばれた場所です。創建は15世紀頃と…
首里城の正殿(せいでん)の前にある御庭(うなー)に入る最後の門が、首里城・奉神門。神を奉じる(敬う)という意味を持っている門です。1562年に「石造欄干完成」という記録があることから、奉神門の創建はそれ以前ということがわ…
今帰仁城(なきじんじょう/なきじんぐすく)は、平成12年12月に「琉球王国のグスク及び関連遺産群」として世界遺産に登録されたグスクのひとつで沖縄本島北部の本部半島、今帰仁村(なきじんそん)にある中世の城。琉球が中山に統一…
沖縄戦の戦禍を免れ沖縄県内でもっとも原形をとどめたグスクが縄県中頭郡北中城村(きたなかぐすくそん)・中城村(なかぐすくそん)にある中城城(なかぐすくぐすく・なかぐすくじょう)。中城湾(なかぐすくわん)を見下ろす標高150…