巨福呂坂
神奈川県鎌倉市、鶴岡八幡宮の裏手、青梅聖天社から尾根を越え、建長寺に至る峠越えの道が、巨福呂坂(こぶくろざか)。現在は、小袋坂という表記ですが、かつては巨福呂坂、巨福路坂、巨福礼坂と記され、鎌倉七口(かまくらななくち)に…
神奈川県鎌倉市、鶴岡八幡宮の裏手、青梅聖天社から尾根を越え、建長寺に至る峠越えの道が、巨福呂坂(こぶくろざか)。現在は、小袋坂という表記ですが、かつては巨福呂坂、巨福路坂、巨福礼坂と記され、鎌倉七口(かまくらななくち)に…
神奈川県鎌倉市長谷、鎌倉大仏(高徳院)の門前から北西に、常盤を経て藤沢方面に抜ける古道の切通が、大仏切通(だいぶつきりどおし)。常盤側入口の崖の上には五輪塔が安置されたやぐら(洞窟)があるので、古くから開けた道であること…
神奈川県横浜市金沢区朝比奈町、鎌倉市の十二所(じゅうにそ)と朝比奈を結ぶ鎌倉七口(かまくらななくち)のひとつが、朝夷奈切通(あさいなきりどおし)。朝比奈峠越えの神奈川県道204号(金沢鎌倉線)が昭和31年に開通するまでは…
鎌倉七口の一つに数えられるのが名越切通(なごえきりどおし)で、幕府のあった鎌倉と三浦半島側(逗子市小坪)を結ぶ街道の切通し。鎌倉時代編纂の歴史書『吾妻鏡』にも名越坂という名で登場する、鎌倉に入る歴史ある道です。現在は神奈…
鎌倉七口のうちもっとも由比ヶ浜寄りにあるのが極楽寺坂切通。鎌倉時代に鎌倉七口の呼称はなく、江戸時代初期からの呼び名。それでも極楽寺坂切通は、元弘3年(1333年)、新田義貞鎌倉侵攻の際の激戦地のひとつになっています。極楽…
海を除いた三方を山に囲まれた天然の要塞でもある鎌倉には、鎌倉七口と呼ばれる7ヶ所の入口が用意されていました。そのひとつが、現在の県鎌倉市十二所と横浜市金沢区朝比奈町を結ぶ峠道の朝比奈切通(あさひなきりどおし)。都市化の波…
海蔵寺から源氏山公園へつながる化粧坂(けわいざか)の切り通し。武蔵国府(現在の府中市・国分寺市)へと通じる古道の鎌倉側の入口で「鎌倉七切通し」(鎌倉七口)のひとつになっています。昼なおうっそうとした暗い道で、昔ながらの土…
北鎌倉の建長寺の門前の山ノ内と扇ヶ谷(おうぎがやつ)を結ぶ山越えの道が亀ヶ谷坂 (かめがやつざか)。「鎌倉七切通し」(鎌倉七口)のひとつで、仁治元年(1240年)、鎌倉時代の歴史書『吾妻鏡』の「山内の道路を造らるべきの由…