朝夷奈切通

朝夷奈切通

神奈川県横浜市金沢区朝比奈町、鎌倉市の十二所(じゅうにそ)と朝比奈を結ぶ鎌倉七口(かまくらななくち)のひとつが、朝夷奈切通(あさいなきりどおし)。朝比奈峠越えの神奈川県道204号(金沢鎌倉線)が昭和31年に開通するまでは、この朝夷奈切通が神奈川県道として利用されていました。

北条泰時が開削、金沢地区が発展する基礎となった大動脈

朝夷奈切通
昭和16年に鎌倉町青年団によって建てられた石碑

鎌倉市と横浜市との市境にある大切通は崖の高さ18m、横浜市側の小切通でも高さ16mと、かなり尾根筋を切通して道を開いたことがわかります。
現在は、横浜市側が横浜市道六浦1号線、鎌倉市側が鎌倉市道101号線で、市境から横浜市側へ330m地点までの道路敷、その両側20mの範囲、市境から鎌倉市側へ1kmまでの道路敷と両側5m~20mが範囲が国の史跡になり、開発から守られています。

鎌倉幕府の歴史書『吾妻鏡』によれば、仁治元年11月30日(1241年1月13日)、鎌倉と六浦との間に道路を開削することが決まり、時の執権・北条泰時(ほうじょうやすとき=鎌倉幕府第3代執権、御成敗式目を制定/NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』では坂口健太郎)が自ら現地に足を運んだと記され、仁治2年4月5日(1241年5月17日)に着工しています。

朝夷奈切通の開削により、鎌倉と六浦津(むつらのつ)が直結。
北条泰時は、異母弟の北条実泰(ほうじょうさねやす)に六浦荘を与え、実泰の子・北条実時(ほうじょうさねとき)は六浦荘金沢に別邸を構えて金沢氏を名乗り(蔵書を集めて金沢文庫を創設)、六浦津は房総半島などと結ぶ鎌倉の外港として栄えたのです。
鎌倉幕府滅亡後も発展、近世には金沢八景という景勝地としても有名に。

朝夷奈切通の道は、鎌倉側では金沢街道(六浦道)と呼ばれ、六浦、釜利谷で産する塩も運ばれた塩の道にもなっていました。
鎌倉側の起点である十二所の光触寺(こうそくじ)・地蔵堂に安置される塩嘗地蔵(しおなめじぞう=石蔵地蔵菩薩坐像)もかつては金沢街道(六浦道)沿いにあったものだと推測できます。

明治時代の古写真には大切通に茶店が写っており、佐藤善治郎著『鎌倉大観』(明治35年刊)にも茶店の記述があるので、往時には商人などの往来で賑わっていたことがよくわかります。
現在は、塩の道を歩く朝比奈ハイキングコース(朝比奈バス停~熊野神社~朝比奈切通~十二所バス停)として人気の散策ルートにもなっています。

鎌倉七口は、朝夷奈切通のほか、名越切通(なごえきりどおし/逗子市との境)、巨福呂坂(こぶくろざか/鶴岡八幡宮から現在の北鎌倉へと抜ける坂)、亀ヶ谷坂(かめがやつざか/扇ガ谷と山ノ内を結ぶ)、化粧坂(けわいざか/新田義貞軍と幕府軍の激戦地)、大仏切通(だいぶつきりどおし/長谷から北西へ伸びる坂道)、極楽寺坂切通(ごくらくじざかきりどし/江ノ電・極楽寺駅近く)で、「鎌倉街道-七口切通」として文化庁の「歴史の道百選」に選定。

鎌倉七口のうち、朝夷奈切通、名越切通、化粧坂、大仏切通は、日本遺産「いざ、鎌倉」~歴史と文化が描くモザイク画のまちへ~の構成資産にもなっています。

朝夷奈切通
名称 朝夷奈切通/あさいなきりどおし
所在地 神奈川県横浜市金沢区朝比奈町・鎌倉市十二所
関連HP 横浜市公式ホームページ
電車・バスで 京浜急行六浦駅から徒歩30分
問い合わせ 横浜市教育委員会事務局総務部生涯学習文化財課 TEL:045-671-3284/FAX:045-224-5863
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
鎌倉七口

鎌倉七口とは!?

源頼朝が鎌倉幕府を開いた、古都・鎌倉は、眼前に海、三方を山に囲まれるという天然の要害。山を超えるための7ヶ所の切通(きりどおし)が鎌倉七口(かまくらななくち=江戸時代以降の呼び名)で、「鎌倉街道-七口切通」として文化庁の「歴史の道百選」にも

 

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