関ヶ原合戦で、小早川秀秋は東軍と西軍の間でなぜ悩んだ!?
関ヶ原合戦、東軍勝利の「影の立役者」ともいわれるのが、小早川秀秋。比高180mほどで関ヶ原を眼下にする松尾山に陣取り、戦況を見守りながら、結果として西軍を裏切って東軍として参戦。合戦の最中、家康から鉄砲を陣中に撃たれて、…
関ヶ原合戦、東軍勝利の「影の立役者」ともいわれるのが、小早川秀秋。比高180mほどで関ヶ原を眼下にする松尾山に陣取り、戦況を見守りながら、結果として西軍を裏切って東軍として参戦。合戦の最中、家康から鉄砲を陣中に撃たれて、…
岐阜県不破郡関ケ原町、関ヶ原の南側、標高290mの松尾山(松尾山城)が、関ヶ原合戦で、西軍ながら東軍に通じていた小早川秀秋が陣を構えた場所。曲輪、堀切、土塁などが残される本格的な山城で、当初は1万5000もの兵を率いて、…
「岐阜関ケ原古戦場記念館」が設定する関ヶ原古戦場で、福島正則関連の陣跡をめぐるのが福島正則コース。秀吉とは従兄弟(いとこ)という間柄ながら東軍の先鋒を務め、宇喜多秀家軍と激突しています。全行程6.7km、所要1時間45分…
岐阜県不破郡関ケ原町(関ケ原町役場横)、天下分け目の関ヶ原合戦を解説するミュージアムが、岐阜関ケ原古戦場記念館。関ヶ原古戦場のビジターセンター的な機能を有するだけでなく、教育的視点・体験的要素を重視して、関ヶ原合戦に至る…
岐阜県不破郡関ケ原町、天下分け目の戦い、関ヶ原合戦で西軍の将として布陣。陣を構えたのは、開戦地に近い北天満山で、現在の西田公園あたりが関ヶ原古戦場・小西行長陣跡。北は北国街道、南は中山道を抑えるという要衝で、合戦の火蓋が…
岐阜県不破郡関ケ原町、東山道(近世の中山道)不破関の東、春日神社が、関ヶ原古戦場・福島正則陣跡。福島正則は、おね(北政所)と頂点とする尾張・武断派と、茶々(淀殿)を頂点とする近江・文治派との対立の際には、石田三成襲撃事件…
天下分け目とされる関ヶ原の戦いは、慶長5年9月15日(1600年10月21日)に美濃国不破郡関ヶ原(岐阜県不破郡関ケ原町)で火蓋が切って落とされました。徳川家康率いる東軍、石田三成の西軍という構図で、徳川方の主力・徳川秀…
豊臣政権を支えた徳川家康、前田利家、毛利輝元、上杉景勝、宇喜多秀家という5人の大大名(だいだいみょう=10万石以上の大名)が五大老。実務は浅野長政、石田三成などの五奉行が行なったので、五大老は秀頼が成人して政務を司るまで…