日本には狸(たぬき)や狐(きつね)が化けるという話が各地に残されています。なかでも狸は身近にいた憎めない愛らしい動物ということで、数多くの伝承が残されています。そんななかで日本三大狸伝説に選ばれているのは、茂林寺『分福茶釜』、證誠寺『狸囃子』、『松山騒動八百八狸物語』です。
茂林寺『分福茶釜』|群馬県館林市
黒門(総門)から赤門(山門)へと続く参道には、21体の狸(たぬき)像が並ぶ茂林寺(もりんじ)。
寺伝(茂林寺縁起)の『茂林寺の釜』は、インドで釈迦の説法を受け、中国から日本へ渡来した守鶴(狸が老僧に化けたもの)が、熊谷・茂林寺で仏教を広めていましたが、『千人法会』の際にいくら汲んでも湯が尽きないという不思議な「紫金銅分福茶釜」を使ったという話。
守鶴が狸であることが発覚すると、幻術によって源平合戦の屋島の戦いや釈迦の入滅を人々に見せた後、茂林寺を去ったのでした。
この話は江戸時代末期に講談などで脚色され、昔話『分福茶釜』へと変化。
巌谷小波(いわやさざなみ)によって明治25年に『茂林寺の文福茶釜』が出版され、茶釜から顔や手足を出して綱渡りする狸の姿が、広く世に知られるようになりました。
證誠寺『狸囃子』|千葉県木更津市
かつては寺子屋としても有名だったという木更津の證誠寺。
證誠寺に伝わるのが『狸ばやしの伝説』で、月夜の晩に和尚さんとおはやしの競争をして、ついには腹の皮が破れて死んでしまった大狸のおかしくも哀れな話。
海運業で栄えた木更津で、海運関係者や商人が檀家になっていたことを背景に、雅楽などを用いた法要が村人たちの耳に不思議に聞こえて話題になり、いつしか『狸ばやしの伝説』が生まれたのではないかと推測されています。
大正8年、木更津町(現在の木更津市)と君津郡の教育委員会の招きで木更津の講演会に招かれた詩人・野口雨情は、ここで證誠寺の『狸ばやしの伝説』を知り、大正14年、作詞・野口雨情、作曲は中山晋平という黄金コンビで童謡『証城寺の狸囃子』(しょうじょうじのたぬきばやし)を発表。
昭和4年、『証城寺の狸囃子』(日本ビクター蓄音器)として平井英子が歌い、ヒットしたことで一躍有名に。
『松山騒動八百八狸物語』|愛媛県松山市
享保の大飢饉に際して起こった松山藩のお家騒動に登場するのが、天智天皇の時代から松山に棲みついていたという化け狸808匹。
このお家騒動が幕末に講釈師・田辺南龍(たなべなんりゅう)が狸の話を加えて脚色したのが、『松山騒動八百八狸物語』です。
808匹の狸を統率した狸界のスーパースターが「隠神刑部」(いぬがみぎょうぶ)で、最後には808匹の狸は洞窟に封印されてしまっています。
「隠神刑部」を祀るのが松山市の山口霊神社です。
この「隠神刑部」、スタジオジブリ制作の長編アニメーション映画『平成狸合戦ぽんぽこ』(高畑勲監督、平成6年公開)で、日本三大狸の中の1匹、伊予の狸のモデルとして選ばれてもいます。
| 日本三大狸伝説とは!? | |
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