東日本最大の古墳で、唯一墳丘長が200mを超える巨大古墳が天神山古墳(群馬県太田市)。墳丘長210mの前方後円墳で、出土した埴輪などの特徴から5世紀前半の築造と推測されています。築造当時に限っていえば、全国5位にあたるほどの巨大古墳、はたして誰が眠っているのでしょう?
埋葬施設の石棺は畿内から派遣の石工が製作
墳丘長210mは、現在では国内ランキングもなんとか30位以内で、上には上がありますが、実は築造当時の5世紀前半に限っていえば、全国5位にあたるほどの巨大古墳です。
それだけを考えても、「かなりの大物」が眠っていることは明らかです。
巨大な前方後円墳であること、埋葬施設に「王家の石棺」とも称される大型の長持形石棺(ながもちがたせっかん)が使われていることからも、ヤマト王権と密接な関係を有したことは明らかです。
長持形石棺は、底石と4枚の側石(がわせき)、蓋石(ふたいし)を組み合わせた箱形の石棺で、畿内王墓(ヤマト王権の大王の墓など)などで多く見られますが(近畿地方に20基)、関東では天神山古墳のほかは、お富士山古墳(群馬県伊勢崎市/5世紀中頃)など限られています(群馬県内では2例のみ)。
天神山古墳の凝灰岩製の長持形石棺は、江戸時代に出土し、現在は断片的なものしか残されていませんが、お富士山古墳同様にヤマト王権が畿内から派遣した専門の工人が当地で製作したものだと推測できます。
天神山古墳は男体山古墳とも称され、すぐ近くに墳丘長106mという大型の女体山古墳がありますが、こちらも同時期の5世紀前半で、形状は帆立貝形という少しユニークなもの。
しかも帆立貝形としては東日本最大の規模を有しています。
2つの古墳は同じ方向を向き、建設にあたっての単位も1尺が24cmという普尺を用いているので、同時の設計だと考えることができます。
円筒埴輪、家型埴輪、鳥型埴輪など出土した埴輪はヤマト王権の技術が用いられています。
仮に1000人の労働者が使われてたとしてもこれだけの大きな墳丘を築くのには100日以上が費やされることになりますから、よほどの権力者だったであろうことはよくわかります。
しかも周囲には2重の周濠が掘り巡らさせ、周濠を含む墓域は364m×288mという巨大さで、墓域だけでいえば世界最大のピラミッド、クフ王をもしのぎます(ギザの大ピラミッドは基底部230.4mx 230.4m)。
こうした点を総合して考えると、東日本最大の勢力を有した首長で、連合政権だったヤマト王権とも密接な関係にあった人物ということは明らかです。
ヤマト王権時代の毛野国(けぬのくに=現在の群馬県全域と栃木県南部を支配)の大首長と推測できますが、毛野国がいったいどれほどの独立性があったのか、大首長はヤマト王権からの派遣だった可能性もあって、被葬者はまだまだ明らかになっていません。
画像協力:群馬県観光物産国際協会『観光ぐんま』
東日本最大の古墳・天神山古墳には誰が眠っている!? | |
所在地 | 群馬県太田市内ケ島町1606-1ほか |
場所 | 天神山古墳 |
電車・バスで | 東武伊勢崎線太田駅から徒歩20分 |
ドライブで | 北関東自動車道太田藪塚ICから約16km |
駐車場 | 天神山古墳駐車場/無料 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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