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琵琶塚古墳

琵琶塚古墳

栃木県小山市にある墳丘長124.8mの前方後円墳が琵琶塚古墳。吾妻古墳 (栃木市・壬生町)に次いで栃木県第2位の巨大古墳で国の史跡になっています。思川と姿川に挟まれた宝木台地上の古墳で、古墳時代後期(6世紀初頭)の築造。すぐ南側に摩利支天塚古墳(墳丘長117mの前方後円墳)があり、下毛野(しもつけ)の首長墓と推測できます。

古代下野国の中心に築かれた前方後円墳

律令制の始まりとなる大宝元年(701年)の『大宝律令』制定で、下毛野に那須(栃木県北東部)を合わせ、下毛野国(しもつけののくに)が設立していますが、それ以前には、東国を統治した豊城入彦命(とよきいりひこのみこと)の子孫とされる下野国の国造である下毛野君が統治していたと考えられています。
琵琶塚古墳はその墳墓で、前方部が2段、後円部が3段築成で、周囲には2重の堀が巡らされています。
発掘調査では墳丘1段目と2段目に円筒埴輪列が出土し、出土した円筒埴輪、朝顔形埴輪、形象埴輪などから6世紀初頭の築造と推測されています。
古墳時代後の奈良時代にも小山市一帯は古代下野国の中心地であり続け、下野国庁(栃木市田村町)、下野国分寺・下野国分尼寺(栃木県下野市・天平の丘公園/琵琶瀬古墳北側)が置かれています。

出土品などは、琵琶瀬古墳東側の「国史跡 摩利支天塚・琵琶塚古墳資料館」(入館無料)に展示解説されているので、ぜひお立ち寄りを。

名称 琵琶塚古墳/びわづかこふん
所在地 栃木県小山市飯塚655
関連HP 小山市公式ホームページ
電車・バスで JR小金井駅からタクシーで8分
ドライブで 北関東自動車道壬生ICから約12km
駐車場 摩利支天塚・琵琶塚古墳資料館駐車場を利用
問い合わせ 小山市文化振興課 TEL:0285-22-9669
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

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下野国庁跡

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下野国分寺跡

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天平の丘公園(下野国分尼寺跡)

奈良時代の天平13年(741年)、仏教による国家鎮護のため聖武天皇の詔により、諸国に建立された国分尼寺(正式名は法華滅罪之寺)のうち下野国(しもつけのくに=現在の栃木県)に建立されたのが、下野国分尼寺で、その下野国分尼寺跡が下野市天平の丘公

摩利支天塚古墳

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