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増上寺

徳川将軍家の菩提寺として有名。寺としての歴史は古く、その創建は1393(明徳4)年まで遡ります。徳川家康の菩提寺として芝に移されてからは、東国随一の浄土宗寺院として繁栄を続けてきましたた。東京大空襲の戦火でほとんどの建物を焼失してしまいましたが、三門(三解脱門)などが現存。

大門から歩くのが正式な参詣の方法

増上寺境内PhotoMap

増上寺は、浄土宗の七大本山の一つである芝・増上寺。1393(明徳4)年、酉誉聖聰(ゆうよしょうそう)上人が江戸貝塚(現在の千代田区平河町付近)の地に開山。家康の尊崇もあって1598(慶長3)年に、現在の芝に移転。家康は1616(元和2)年、増上寺で葬儀を行なうようにとの遺言を残して没しています。以後、江戸時代には徳川将軍家の尊崇を受け繁栄しました。

現在の増上寺の正門にあたる高さ21mの入母屋造りの重厚な三門(三解脱門)は、1622(元和8)年、徳川幕府の助成で建てられたもので国の重要文化財。
大門から三門は、煩悩の数と同じ108間。三門から大殿は、阿弥陀仏の48願と同じ48間。

参道から大殿前に至る階段は阿弥陀仏の本願、第18願に合わせた18段、さらに大殿に登る階段は25菩薩を表す25段と、大門から大殿本堂に至る道のりは、山門を潜り、108の煩悩から解脱し、穢土から極楽浄土に至る世界を表しているのです。

昭和49年再建の大殿本堂の脇に建つ安国殿には恵心僧都(えしんそうず=平安時代中期の天台宗の僧・源信、著作に『往生要集』)の作と伝えられる徳川家康尊崇の秘仏・黒本尊(阿弥陀如来/御開帳=正月・5月・9月の15日)が祀られています。
家康が尊崇し、陣中にも持参したという阿弥陀如来像で、勝運、厄除けの仏様として江戸時代から信仰されているありがたい仏様です。黒本尊という名は、永い年月の間の香煙で黒ずんでいること、そして人々の悪事災難を一身に受けとめて黒くなったということで、家康の命名とか。
江戸時代には徳川家の尊崇を得て25万坪の境内を有し、坊中寺院48、学寮百数十軒を数え、「寺格100万石」といわれた名刹です。明治維新の廃仏毀釈の荒波、さらに明治6年の大火、明治42年の大火、空襲による大火で堂宇を焼失。伽藍も縮小しています。境内地も25万坪から1万6000坪になっています(往時の15分の1)。

参詣は大門から始まる
初詣で賑わう増上寺(大殿)と東京タワー

安国殿の背後には徳川将軍家墓所がある

安国殿の背後にある徳川将軍家墓所には、2代秀忠、6代家宣、7代家継、9代家重、12代家慶、14代家茂という6人の将軍のほか、崇源院(2代秀忠夫人=お江)、皇女和宮(14代家茂夫人)ら5人の正室、3代家光側室・桂昌院(5代綱吉実母)など5人の側室、3代家光の第三子・綱重などが埋葬されています。
正五九祈願会、みなと区民まつりなどの際には『増上寺御霊屋(徳川将軍家墓所)特別公開』が行なわれています。かつては広大な霊廟でしたが、空襲で多くを失い、現存するものは、台徳院霊廟惣門(芝公園・ザ・プリンスパークタワー東京内)、台徳院霊廟 勅額門・丁字門・御成門(以上3棟は埼玉県所沢市の狭山山不動寺に移築)、有章院霊廟二天門(芝公園・東京プリンスホテル内)。

霊廟跡地は、東京プリンスホテル(文昭院、有章院など)、ザ・プリンスパークタワー東京(台徳院、崇源院など)となっているのです。
霊廟に祀られていた将軍や正室の遺体は、昭和33年に増上寺本堂裏の増上寺御霊屋に改葬されています。
残念ながら往時の広大な霊廟群は、プリンスホテル一帯の敷地から推測するしかありません。

本尊阿弥陀如来(室町期製作)が祀られる大殿(だいでん)
三解脱門(三門)
徳川歴代将軍は、どこに祀られている!?
徳川歴代将軍15人のうち6人が増上寺、6人が寛永寺に眠っている。初代の家康と3代将軍家光は日光山に、最後の15代将軍慶喜は谷中霊園に墓地があります。8代将軍・吉宗は1720(享保5)年、御霊屋建立禁止令を出しており、それ以降は大規模な霊廟は建築されず、寛永寺か増上寺のいずれかの霊廟に合祀し、宝塔か霊牌所が建立されています。現在の増上寺徳川家墓所の入口の門は、もと文昭院霊廟の奥院の門。

【久能山東照宮・日光東照宮】
初代・家康

【日光山輪王寺(大猷院霊廟)埋葬】
3代・家光

【増上寺に埋葬】
2代・秀忠・崇源院(お江)、6代・家宣・天英院、7代・家継、9代・家重、12代・家慶、14代・家茂・静寛院(和宮)

【上野・寛永寺に埋葬】
4代・家綱、5代・綱吉・桂昌院(家光側室・綱吉の母)、8代・吉宗、10代・家治、11代・家斉、13代・家定・天璋院篤姫

【谷中霊園(谷中寛永寺墓地)に埋葬】

15代・慶喜

徳川将軍家墓所入口の鋳抜門
焼失前の有章院霊廟

増上寺のおもな年中行事

1月1日=修正会・初詣・初祈願/新年最初の法要である修正会は、元旦0:00〜、安国殿では初祈願を受付
1月15日=正五九黒本尊祈願会/家康の念持仏である、黒本尊がご開帳。増上寺御霊屋(徳川将軍家墓所)特別公開
2月3日=節分追儺式/厄を払い福を呼び込む豆まきを実施
二の午=円山稲荷祈願会/円山随身稲荷大明神の縁日
2月15日=涅槃会/お釈迦さまの命日。大殿内に大涅槃図が掛けられ参詣できます
3月彼岸=春彼岸/ご先祖の供養。中日には御親修のもとご回向も
4月2日~7日=御忌大会/浄土宗の宗祖法然上人の忌日法要
4月8日=潅仏会(花まつり)/お釈迦様に甘茶をかけ、お誕生を祝います(4月2日〜8日=ふれあいフェア/境内にて、関東近県の物産展を開催)
5月10日=景徳祭/和宮ご生誕にあわせて、『景徳祭』を開催
5月15日=正五九黒本尊祈願会/家康の念持仏である、黒本尊がご開帳。増上寺御霊屋(徳川将軍家墓所)特別公開
7月13日~15日=新盆精霊大法要/15日11:00〜、御親修のもとで新盆精霊大法要
7月18日=大施餓鬼会・開山忌/餓鬼(がき)に施しをし、ご先祖を供養します。また7月18日は増上寺を開創した、酉誉上人のご命日
7月の最終金・土曜=地蔵尊盆踊り/増上寺の夏の風物詩である『盆踊り大会』
8月3日=はさみ供養/8(はさ)3(み)の語呂合わせで、11:00〜学校法人「山野学苑」がハサミに感謝し、ハサミを供養する法要が営まれます
8月9日=長崎原爆殉難者追悼会/11:40〜大殿本堂にて追悼会を奉修。原爆投下の11:04には大梵鐘が鳴らされます
8月13日~15日=月遅れ盂蘭盆会/月遅れ盂蘭盆会
8月15日=平和祈願会/終戦記念日の朝9:00〜大殿本堂にて法要
9月15日=正五九黒本尊祈願会/家康の念持仏である、黒本尊がご開帳。増上寺御霊屋(徳川将軍家墓所)特別公開
9月彼岸=秋彼岸/ご先祖の供養。中日には御親修のもとご回向も
9月最終土曜=薪能/歴史ある増上寺の薪能、境内の特設舞台で奉納(9月最終土曜が彼岸中の場合、10月第1週土曜)
10月〜11月=七五三ご祈願/子供の成長を祈願し、阿弥陀如来の智慧を授かる、七五三ご祈願を実施
10月2日=静寛院和宮奉讃法要/13:00〜皇女和宮を讃える法要
10月第2土・日曜/みなと区民祭り=増上寺御霊屋(徳川将軍家墓所)特別公開
11月3日=浜松町グリーンサウンドフェスタ-浜祭-/増上寺をメインに、芝公園や旧芝離宮恩賜庭園などをサテライト会場にした地域活性イベント
11月15日=十夜法要/法要後に執り行なわれる百万遍の数珠繰りに参加可能
12月8日=成道会/釈迦まが悟りを開いた日
12月中旬=仏名会・お身拭い式/その年1年の罪業を懺悔し、改めて念仏を称えて、礼拝をする法要。大殿阿弥陀様のすす払いを実施。
12月31日=浄焚会・除夜鐘/23:00〜古い御守・御札・位牌などを供養して焚き上げる浄焚会(じょうぼんえ)、0:00〜108の煩悩を取り除く「除夜の鐘」を鳴らします。鐘つき券は例年12月1日9:00〜会館2階寺務所にて取扱開始(2000円)

11月3日は『浜松町グリーンサウンドフェスタ-浜祭-』

江戸切絵図に見る増上寺

幕末の愛宕山・増上寺周辺地図
増上寺
名称 増上寺/ぞうじょうじ
所在地 東京都港区芝公園4-7-35
関連HP 増上寺公式ホームページ
電車・バスで 都営地下鉄三田線御成門駅から徒歩3分
ドライブで 首都高速芝公園ランプから約500m
駐車場 10台/無料、または、東京タワーパーキングセンター・地下(200台/有料)など周辺の有料を利用
問い合わせ 増上寺 TEL:03-3432-1431
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

芝東照宮

2023年3月15日

増上寺・大梵鐘

2023年3月14日

増上寺・安国殿

2023年3月14日

増上寺・徳川将軍家墓所

2023年3月14日

増上寺・徳川将軍家墓所鋳抜門

2023年3月6日

旧台徳院霊廟惣門

2023年3月5日

増上寺・旧方丈門(黒門)

2023年3月5日

増上寺・大門

2023年3月5日

増上寺・三解脱門

2023年3月5日

日本近代初等教育発祥の地碑

2022年5月25日

大河ドラマの主人公、有名武将の終焉の地&墓所

2021年8月23日

芝公園

2018年12月26日

広重&豊国 浮世絵に描かれた増上寺

2017年1月7日

 

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