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勝鬨橋

隅田川最下流に位置する勝鬨橋(かちどきばし)は、昭和15年に東京市で開催予定で幻となった「紀元2600年記念日本万国博覧会」のメインゲートとして計画。昭和15年、中央が可動式のアーチ橋として完成した、全長246mの跳開橋です。かつては橋の中央部が2つに分かれて跳ね上がり、大型船の通航も可能にしていました。

戦前の橋梁技術の粋を集めた跳開橋

明治38年に日露戦争における旅順陥落祝勝記念で「勝鬨の渡し」が運航したのが、勝鬨橋のルーツ。
渡しは当時の月島と築地を渡る貴重な足となりました。

また石川島には、1853(嘉永6)年創業の石川島造船所があり、第一次大戦後の船舶特需で交通の需要が増し、昭和15年に勝鬨橋が完成したというわけです。

東京港が開港するのは昭和16年ですから、伊豆大島などへの東京湾汽船の「橘丸」も霊岸島(現・中央区新川地区)から発着。
石川島造船所があったため、そこで完成したが軍艦が通れるように、そしてまだまだ隅田川を上る大型の船舶があったため、「東洋一の可動橋」の誕生となりました。
可動部は70度まで70秒で開きましたが、船が通る間、晴海通りは約20分間の交通止めが必要でした。

設置当初は1日に5回開けていましたが、晴海通りの交通量の増大と、東京湾機能の移行で、昭和45年11月29日を最後に、開閉されることはなくなったのです。

国内最大の可動桁スパンを有する橋は国の重要文化財に

橋の上を通るのは、晴海通り(東京都道304号日比谷豊洲埠頭東雲町線)で、昭和22年〜昭和43年には、都電9系統・11系統が橋を渡っていました。

現在は交通量が激増し、大渋滞を招いてしまうという理由から、昭和45年を最後に跳ね上がる姿を見ることはできなくなってしまいました。
それでも石造りの高欄や弓形の欄干など、その優美さは一見の価値があります。
日没から21:00まではライトアップもされ、美しさもひときわ。
51.6mという、国内最大の可動桁スパンを有する技術的完成度の高い構造物として、平成19年には清洲橋、永代橋とともに国の重要文化財に指定されています。

さらに、跳開部の機械設備は、日本機械学会から機械遺産に認定されています。

「かちどき橋の資料館」と『橋脚内見学ツアー』
築地側のたもとにある「かちどき橋の資料館」は、橋を開閉する電力を供給した勝鬨橋発電所を再生したもの。
木曜(祝日・年末年始を除く)には1日4回(10:00〜、11:00〜、13:30〜、14:30〜)、(公財)東京都道路整備保全公社が開催する『橋脚内見学ツアー』が実施され、橋脚内にある開閉当時のままの機械設備を、ガイド付きで見学することができます(往復はがきによる予約制)。
ただし、勝鬨橋の補修工事に伴い、平成30年1月〜平成32年3月末までの予定で『橋脚内見学ツアー』は、一時中断。
勝鬨橋
名称 勝鬨橋/かちどきばし
所在地 東京都中央区築地6
関連HP 東京都建設局公式ホームページ
電車・バスで 都営地下鉄勝どき駅から徒歩5分、東京メトロ築地駅から徒歩10分
ドライブで 首都高速銀座ランプから約1km
駐車場 なし/周辺の有料駐車場を利用
問い合わせ かちどき橋の資料館 TEL:03-3543-5672
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

両国橋

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蔵前橋

東京台東区蔵前1丁目(西岸)と墨田区横網1丁目(東岸)の間を流れる隅田川(旧称・大川)に架る橋が蔵前橋(くらまえばし)。関東大震災後、帝都復興で国が架橋した6橋のひとつで、大正13年9月に着工、昭和2年11月26日竣工の橋。復興局が蔵前橋通

言問橋

東京都台東区(西岸)と墨田区(東岸)の間を流れる隅田川(旧称・大川)に架る橋が、言問橋(ことといばし)。関東大震災後、帝都復興で内務省復興局(帝都復興院)が担当した6橋(隅田川六大橋)のひとつで、震災以前は「竹屋の渡し」(向島の渡し、待乳の

駒形橋

吉原通いの遊び人が使う代表的な渡しだったのが隅田川にあった「駒形の渡し」。黄昏(たそがれ)時に、舟を降りた粋人が、土産の紅などを購入して吉原へ向かいました。そんな「駒形の渡し」ですが、関東大震災後の復興計画で、昭和2年6月25日に駒形橋が架

永代橋

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吾妻橋

1774(安永3)年10月17日に隅田川に架けられた歴史ある橋。隅田川の俗称である大川の名を取って大川橋と称していましたが、江戸の東にあるために町民たちから「東橋」と呼ばれ、吾嬬神社への参詣道でもあることから吾妻橋になりました。現在の橋は関

清洲橋

清洲橋(きよすばし)は、関東大震災の復興事業で造られた全長186.2mの自碇式吊橋(じていしきつりばし)で、昭和3年に完成。永代橋(えいだいばし)とともに、隅田川を代表する美橋として知られ、河口に位置する永代橋が男性的で雄大なデザインである

中央大橋

中央大橋は、八重洲通り(東京都道463号上野月島線中央大橋支線)が通る隅田川に架かる橋で、その名の通り、中央区の新川2丁目と佃1丁目を結んでいます。隅田川では千住汐入大橋(平成18年架橋)に次いで新しい橋で、平成5年8月26日、レインボーブ

相生橋

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厩橋

東京都台東区(西岸)と墨田区(東岸)の間を流れる隅田川に架るレトロな橋が、厩橋(うまやばし)。現存する橋は、関東大震災後の昭和4年9月、帝都復興計画に基づいて東京市復興局が架橋した橋。地盤の良さを反映して、隅田川で唯一の3連アーチ橋です。帝

築地大橋

東京都中央区、隅田川の河口部に架かるのが、築地大橋。浅草から竹芝桟橋、お台場海浜公園などを結ぶ東京都観光汽船の水上バスが最後にくぐるのが築地大橋で、北詰にはかつて築地市場(つきじしじょう)がありました。環状2号線の橋で、平成30年11月4日

晴海通り(震災復興道路)

関東大震災(大正12年9月1日)からの帝都復興を目指した震災復興道路の軸のひとつ「幹線第四号」が、晴海通り(はるみどおり)。祝田橋交差点(千代田区)から銀座の中央を縦断、銀座四丁目交差点、歌舞伎座前を経て、勝鬨橋(かちどきばし)、豊洲を経て

 

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