清洲橋

清洲橋(きよすばし)は、関東大震災の復興事業で造られた全長186.2mの自碇式吊橋(じていしきつりばし)で、昭和3年に完成。永代橋(えいだいばし)とともに、隅田川を代表する美橋として知られ、河口に位置する永代橋が男性的で雄大なデザインであるのに対し、上流に位置する第2橋梁の清洲橋は、女性的な優美さで対比をなしています。

「震災復興の華」と呼ばれた優美な橋

東京市復興局が施工主体となり太田圓三を中心に鈴木精一の設計で昭和3年3月15日に完成した橋長186.2m、中央支間長91.4m、幅員25.9mの橋。
永代橋と同様にデザイン面で建築家の山口文象が設計に関与しています。

モデルはかつてドイツのケルンにあった大吊り橋・ヒンデンブルグ橋(Deutzer Hängebrücke=当時世界最美の橋と呼ばれていました)で、隅田川沿いから見るその光景は、ケルンの眺めとも称されたほど似ていました。

日没から21:00まではライトアップが施され、なんとも心が和む景観に。

当時の最先端技術による昭和初期を代表する吊橋として、平成19年に勝鬨橋(かちどきばし)、永代橋とともに国の重要文化財に指定。
また、永代橋とともに土木学会の「土木学会選奨土木遺産」にも認定されています。

建設当時は中洲の渡し(なかずのわたし)があった深川区清住町と日本橋区中洲町を結んだことから、公募で清洲橋という名が付きました。
橋の上を清洲橋通り(東京都道474号浜町北砂町線)が通っています。

ヒンデンブルグ橋
1915年にドイツのケルン市に建設されたのがヒンデンブルグ橋(Deutzer Hängebrücke)。
1934年8月2日に死去した、ドイツ(ワイマール共和国)の第2代大統領、パウル・フォン・ヒンデンブルク(Paul von Hindenburg)の名を冠して1935年にヒンデンブルグ橋と名付けられました。
1945年2月28日に修理工事中に倒壊。
清洲橋
ヒンデンブルグ橋

 

清洲橋
名称 清洲橋/きよすばし
Kiyosu Bridge
所在地 東京都江東区清澄1〜中央区日本橋中洲1
電車・バスで 東京メトロ半蔵門線・都営地下鉄大江戸線清澄白河駅徒歩7分。または、東京メトロ半蔵門線徒歩水天宮駅から徒歩9分
ドライブで 首都高速高浜町ランプから約700m
駐車場 なし/周辺の有料駐車場を利用
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
両国橋

両国橋

東京都中央区(西側)と墨田区(東側)の間を流れる隅田川(旧・大川)に架る橋が両国橋。貞享3年(1686年)に利根川東遷で武蔵・下総国境が変更されるまでは、現在の墨田区側が下総国だったため、両国橋という名が生まれています。現在の橋は、昭和5年

蔵前橋

蔵前橋

東京台東区蔵前1丁目(西岸)と墨田区横網1丁目(東岸)の間を流れる隅田川(旧称・大川)に架る橋が蔵前橋(くらまえばし)。関東大震災後、帝都復興で国が架橋した6橋のひとつで、大正13年9月に着工、昭和2年11月26日竣工の橋。復興局が蔵前橋通

言問橋

言問橋

東京都台東区(西岸)と墨田区(東岸)の間を流れる隅田川(旧称・大川)に架る橋が、言問橋(ことといばし)。関東大震災後、帝都復興で内務省復興局(帝都復興院)が担当した6橋(隅田川六大橋)のひとつで、震災以前は「竹屋の渡し」(向島の渡し、待乳の

永代橋

清洲橋とともに隅田川を代表する美橋として有名な永代橋は、関東大震災後の帝都復興事業として、大正15年に竣工。全長185mのタイド・アーチ橋で、ドイツのライン川に架かっていたルーデンドルフ橋(Ludendorffbrücke)をモデルに、隅田

相生橋

相生橋

東京都中央区・佃島(つくだじま/西岸)と江東区・越中島(東岸)の間を流れる隅田川(旧称・大川)の派川(春海運河)に架る橋が、相生橋(あいおいばし)。橋の中ほどには中の島があり江東区立中の島公園が整備されています。現在の橋は、平成10年12月

千住大橋

千住大橋

東京都足立区(北岸)と荒川区(南岸)の間を流れる隅田川に架る国道4号(日光街道)の橋が千住大橋。文禄3年(1594年)、徳川家康の関東転封に伴い、隅田川に最初に架けられた橋がこの千住大橋です。現在の旧橋(国道4号北行)は関東大震災からの帝都

白鬚橋

白鬚橋

東京都荒川区、台東区・墨田区の間を流れる隅田川に架る歴史ある橋が白鬚橋(しらひげばし)。明治通りと通称される東京都道306号(王子千住夢の島線)の橋で、橋名は東岸の白鬚大明神(現・白鬚神社/墨田区東向島)に由来します。つまり、「ひげ」は、髭

中央大橋

中央大橋は、八重洲通り(東京都道463号上野月島線中央大橋支線)が通る隅田川に架かる橋で、その名の通り、中央区の新川2丁目と佃1丁目を結んでいます。隅田川では千住汐入大橋(平成18年架橋)に次いで新しい橋で、平成5年8月26日、レインボーブ

勝鬨橋

隅田川最下流に位置する勝鬨橋(かちどきばし)は、昭和15年に東京市で開催予定で幻となった「紀元2600年記念日本万国博覧会」のメインゲートとして計画。昭和15年、中央が可動式のアーチ橋として完成した、全長246mの跳開橋です。かつては橋の中

駒形橋

吉原通いの遊び人が使う代表的な渡しだったのが隅田川にあった「駒形の渡し」。黄昏(たそがれ)時に、舟を降りた粋人が、土産の紅などを購入して吉原へ向かいました。そんな「駒形の渡し」ですが、関東大震災後の復興計画で、昭和2年6月25日に駒形橋が架

吾妻橋

1774(安永3)年10月17日に隅田川に架けられた歴史ある橋。隅田川の俗称である大川の名を取って大川橋と称していましたが、江戸の東にあるために町民たちから「東橋」と呼ばれ、吾嬬神社への参詣道でもあることから吾妻橋になりました。現在の橋は関

厩橋

厩橋

東京都台東区(西岸)と墨田区(東岸)の間を流れる隅田川に架るレトロな橋が、厩橋(うまやばし)。現存する橋は、関東大震災後の昭和4年9月、帝都復興計画に基づいて東京市復興局が架橋した橋。地盤の良さを反映して、隅田川で唯一の3連アーチ橋です。帝

隅田川六大橋

隅田川六大橋とは!?

大正12年9月1日に発生した関東大震災後の帝都復興事業で帝都復興院(大正13年2月25日以降は内務省復興局)が隅田川に建設した相生橋、永代橋、清洲橋、蔵前橋、駒形橋、言問橋の6橋は景観にも配慮され、デザイン的にも優れた橋で、隅田川六大橋と称

芭蕉庵史跡展望庭園

芭蕉庵史跡展望庭園

東京都江東区常盤1丁目、隅田川と小名木川の合流地点、萬年橋に近い隅田川テラス沿いにあるのが、芭蕉庵史跡展望庭園。背後に深川芭蕉庵跡の芭蕉稲荷神社が鎮座し、北には江東区芭蕉記念館があるなど、一帯は江戸で芭蕉が暮らし、『奥の細道』に旅立った地な

東京のシンボル 震災復興橋梁とは!?

関東大震災後の帝都復興計画で、隅田川には恒久橋として上流から言問橋、吾妻橋、駒形橋、厩橋、蔵前橋、両国橋、清洲橋、永代橋、相生橋の9橋が架けられました(相生橋は、平成10年に新橋に架け替えられています)。つまり現存する8橋が、隅田川に架かる

 

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

最新情報をお届けします

Twitter でニッポン旅マガジンをフォローしよう!

よく読まれている記事

こちらもどうぞ