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中央大橋

中央大橋は、八重洲通り(東京都道463号上野月島線中央大橋支線)が通る隅田川に架かる橋で、その名の通り、中央区の新川2丁目と佃1丁目を結んでいます。隅田川では千住汐入大橋(平成18年架橋)に次いで新しい橋で、平成5年8月26日、レインボーブリッジと同日の開通。

デザインコンセプトは、兜(かぶと)

橋長210.7m、幅員25.0mの斜張橋で、機能性を追求した昭和の橋と異なって、都市景観やデザインにも配慮した設計に。
2本の角柱が斜めに伸びて塔頂部で接合され、さらに末広がりに伸びる「A形形式」。
隅田川は平成元年にパリを流れるセーヌ川と姉妹関係を結んでおり、その関係でフランスのデザイン会社が設計しています。

「隅田川に架かる他の橋梁形式との差別化」、「再開発地点のモニュメント(ゲ-ト性)」を計画コンセプトに、主塔などは兜(かぶと)を意識したデザイン。
佃島には、「鎧伝説」があり、デザインコンセプトに兜を用いたのだとか。

中央橋脚部分には1992年10月27日、当時のパリ市長、ジャック・シラクから東京都に友好の印として寄贈された20世紀を代表する前衛彫刻家、オシップ・ザッキン(Ossip Zadkine)作の彫刻『メッセンジャー』(“messenger”)が配されています。
1937年の『パリ万国博覧会』に出品された作品を鋳造したもの(セーヌ川のアンバリッド橋近くの公園にも同じものがあります)。
彫刻の正面は上流側を向いているので、歩道から見えるのは残念ながら後姿ということに。

夜間はライトアップされ、散策にも絶好。
東京スカイツリーと永代橋を観賞できるビューポイントになっています。

 

中央大橋
名称 中央大橋/ちゅうおうおおはし
所在地 東京都中央区佃1・新川2
電車・バスで JR京葉線・東京メトロ日比谷線八丁堀駅から徒歩8分
駐車場 なし/周辺の有料駐車場を利用
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

両国橋

東京都中央区(西側)と墨田区(東側)の間を流れる隅田川(旧・大川)に架る橋が両国橋。貞享3年(1686年)に利根川東遷で武蔵・下総国境が変更されるまでは、現在の墨田区側が下総国だったため、両国橋という名が生まれています。現在の橋は、昭和5年

蔵前橋

東京台東区蔵前1丁目(西岸)と墨田区横網1丁目(東岸)の間を流れる隅田川(旧称・大川)に架る橋が蔵前橋(くらまえばし)。関東大震災後、帝都復興で国が架橋した6橋のひとつで、大正13年9月に着工、昭和2年11月26日竣工の橋。復興局が蔵前橋通

言問橋

東京都台東区(西岸)と墨田区(東岸)の間を流れる隅田川(旧称・大川)に架る橋が、言問橋(ことといばし)。関東大震災後、帝都復興で内務省復興局(帝都復興院)が担当した6橋(隅田川六大橋)のひとつで、震災以前は「竹屋の渡し」(向島の渡し、待乳の

白鬚橋

東京都荒川区、台東区・墨田区の間を流れる隅田川に架る歴史ある橋が白鬚橋(しらひげばし)。明治通りと通称される東京都道306号(王子千住夢の島線)の橋で、橋名は東岸の白鬚大明神(現・白鬚神社/墨田区東向島)に由来します。つまり、「ひげ」は、髭

新大橋

隅田川をまたぐ新大橋通り(東京都道・千葉県道50号東京市川線)に架かる橋。中央区日本橋浜町2・3丁目と江東区新大橋1丁目を結ぶ橋で昭和52年に完成。もともとは、元禄6年12月7日(1694年1月4日)に当時「大橋」と呼ばれた両国橋に続く橋と

清洲橋

清洲橋(きよすばし)は、関東大震災の復興事業で造られた全長186.2mの自碇式吊橋(じていしきつりばし)で、昭和3年に完成。永代橋(えいだいばし)とともに、隅田川を代表する美橋として知られ、河口に位置する永代橋が男性的で雄大なデザインである

勝鬨橋

隅田川最下流に位置する勝鬨橋(かちどきばし)は、昭和15年に東京市で開催予定で幻となった「紀元2600年記念日本万国博覧会」のメインゲートとして計画。昭和15年、中央が可動式のアーチ橋として完成した、全長246mの跳開橋です。かつては橋の中

永代橋

清洲橋とともに隅田川を代表する美橋として有名な永代橋は、関東大震災後の帝都復興事業として、大正15年に竣工。全長185mのタイド・アーチ橋で、ドイツのライン川に架かっていたルーデンドルフ橋(Ludendorffbrücke)をモデルに、隅田

駒形橋

吉原通いの遊び人が使う代表的な渡しだったのが隅田川にあった「駒形の渡し」。黄昏(たそがれ)時に、舟を降りた粋人が、土産の紅などを購入して吉原へ向かいました。そんな「駒形の渡し」ですが、関東大震災後の復興計画で、昭和2年6月25日に駒形橋が架

吾妻橋

1774(安永3)年10月17日に隅田川に架けられた歴史ある橋。隅田川の俗称である大川の名を取って大川橋と称していましたが、江戸の東にあるために町民たちから「東橋」と呼ばれ、吾嬬神社への参詣道でもあることから吾妻橋になりました。現在の橋は関

相生橋

東京都中央区・佃島(つくだじま/西岸)と江東区・越中島(東岸)の間を流れる隅田川(旧称・大川)の派川(春海運河)に架る橋が、相生橋(あいおいばし)。橋の中ほどには中の島があり江東区立中の島公園が整備されています。現在の橋は、平成10年12月

厩橋

東京都台東区(西岸)と墨田区(東岸)の間を流れる隅田川に架るレトロな橋が、厩橋(うまやばし)。現存する橋は、関東大震災後の昭和4年9月、帝都復興計画に基づいて東京市復興局が架橋した橋。地盤の良さを反映して、隅田川で唯一の3連アーチ橋です。帝

佃公園

東京都中央区佃1丁目、石川島の隅田川に架かる中央大橋から下流側と佃川支川沿いに広がる中央区立公園が、佃公園(つくだこうえん)。佃公園という名がありますが、江戸時代には火付盗賊改(ひつけとうぞくあらため)・長谷川平蔵の提案で人足寄場が築かれた

石川島公園

東京都中央区佃2丁目・3丁目、石川島の隅田川(中央大橋より上流部)、隅田川派川沿いに続く区立の公園が、石川島公園。江戸時代に人足寄場が置かれ、近代以降には石川島造船所、石川島重工業、石川島播磨重工業(現・IHI)があった場所で、現在は大川端

 

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