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岡倉天心記念公園(岡倉天心旧居跡)

岡倉天心記念公園(岡倉天心旧居跡)

東京都台東区谷中にある岡倉天心記念公園は、東京美術学校(現・東京藝術大学)の設立にかかわり、また日本美術院を創設した岡倉天心の旧居跡。公園といっても710平方メートルの児童公園規模のもの。それでも明治31年10月15日、ここに日本美術院が開設され、明治39年に茨城県五浦に移転するまで、日本美術の中心的な場所だったのです。

眼の前の「谷中八軒屋」には横山大観らも住んでいた!

日本美術院は、東京美術学校を排斥された岡倉天心を中心に、「本邦美術の特性に基づきその維持開発を図る」ことを目的に、東京美術学校を自主的に辞職した美術家達(橋本雅邦、六角紫水、横山大観、下村観山、寺崎広業、小堀鞆音、菱田春草、西郷孤月)が創設した美術研究団体(橋本雅邦が主幹)。
従来の日本画の流派に反対し、洋画の手法を積極的にとり入れて、近代日本画に新風を吹き込んだのです。
明治31年に竣工した木造2階建ての建物は、南館(絵画研究室)と北館(事務室・工芸研究室・書斎・集会室)の2棟からなっていました。

さらに、この日本美術院の前には茅葺き(かやぶき)2階建ての建物が8軒建てられ、横山大観、下村観山、菱田春草、西郷孤月、寺崎廣業、小堀鞆音、岡部覚彌、剣持忠四郎とその家族が住んでいました(「谷中八軒屋」)。

昭和42年に台東区が整備したした岡倉天心記念公園には、「岡倉天心先生旧宅趾・日本美術院発祥之地」碑のほか、五浦の六角堂を模した建物が建ち、堂内には平櫛田中(ひらくしでんちゅう)作の岡倉天心胸像が安置されています。
この胸像は、平櫛田中が昭和6年に制作した作品(東京藝術大学構内に展示)の原型から鋳造されたもの。

岡倉天心記念公園(岡倉天心旧居跡)
名称 岡倉天心記念公園(岡倉天心旧居跡)/おかくらてんしんきねんこうえん(おかくらてんしんきゅうきょあと)
所在地 東京都台東区谷中5-7-10
関連HP 台東区公式ホームページ
電車・バスで 東京メトロ千代田線千駄木駅から徒歩5分。JR・京成線日暮里駅から徒歩7分。
駐車場 なし
問い合わせ 台東区観光課 TEL:03-5246-1151
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

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