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白鬚橋

白鬚橋

東京都荒川区、台東区・墨田区の間を流れる隅田川に架る歴史ある橋が白鬚橋(しらひげばし)。明治通りと通称される東京都道306号(王子千住夢の島線)の橋で、橋名は東岸の白鬚大明神(現・白鬚神社/墨田区東向島)に由来します。つまり、「ひげ」は、髭(くちひげ)ではなく、髭(あごひげ)。

永井荷風いわく「永代橋に似たる鉄橋」

初代の橋は、大正3年に地元有志が白鬚橋株式会社を設立し、架橋した木橋(有料橋)でした。
現在の橋長167.63m、幅24.14mのバランストタイドアーチ橋は、関東大震災後の震災復興事業で昭和6年8月8日に竣工した2代目。

設計は、景観を考えて美しい橋を築いた増田淳(ますだじゅん)で、設計・架橋時には鉄道併用橋として架けられています。
東京では墨田が上流の千住大橋のほか、小松橋(江東区)、西竪川橋(江東区)、東富橋(江東区)、二子橋(世田谷区・川崎市/鉄道併用橋)なども担当しています。

「二三町にして白鬚橋の袂に至る。其形永代橋に似たる鉄橋なり。橋をわたりて橋場の岸に至るに、物揚場の鉄骨のかげに真崎稲荷の石灯籠と石浜神社の鳥居の立ちたるさま見るも哀れなり」(永井荷風『断腸亭日記』/昭和10年)。
永井荷風は、鋭い視点で、「永代橋に似たる鉄橋」と記していますが、ともに美しいフォルムのバランストタイドアーチ橋です。
白鬚橋のほうが軽やかな感じの仕上がりなのは、帝都復興事業のシンボル(「帝都東京の門」)として、鉄鋼をふんだんに使った重厚な永代橋に対して、白鬚橋は予算を浮かしてアーチ部分ににトラス(Truss=鉄骨を三角形に組む構造形式)を使ったため。
橋の軽量強靭化、そして中央部分はアーチ状、両サイドはなだらかなトラス形式美しいフォルムが実現したのです。
夜間は、LED照明で美しくライトアップされています。

白鬚橋
名称 白鬚橋/しらひげばし
所在地 東京都荒川区南千住〜墨田区堤通
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

千住大橋

東京都足立区(北岸)と荒川区(南岸)の間を流れる隅田川に架る国道4号(日光街道)の橋が千住大橋。文禄3年(1594年)、徳川家康の関東転封に伴い、隅田川に最初に架けられた橋がこの千住大橋です。現在の旧橋(国道4号北行)は関東大震災からの帝都

両国橋

東京都中央区(西側)と墨田区(東側)の間を流れる隅田川(旧・大川)に架る橋が両国橋。貞享3年(1686年)に利根川東遷で武蔵・下総国境が変更されるまでは、現在の墨田区側が下総国だったため、両国橋という名が生まれています。現在の橋は、昭和5年

蔵前橋

東京台東区蔵前1丁目(西岸)と墨田区横網1丁目(東岸)の間を流れる隅田川(旧称・大川)に架る橋が蔵前橋(くらまえばし)。関東大震災後、帝都復興で国が架橋した6橋のひとつで、大正13年9月に着工、昭和2年11月26日竣工の橋。復興局が蔵前橋通

言問橋

東京都台東区(西岸)と墨田区(東岸)の間を流れる隅田川(旧称・大川)に架る橋が、言問橋(ことといばし)。関東大震災後、帝都復興で内務省復興局(帝都復興院)が担当した6橋(隅田川六大橋)のひとつで、震災以前は「竹屋の渡し」(向島の渡し、待乳の

相生橋

東京都中央区・佃島(つくだじま/西岸)と江東区・越中島(東岸)の間を流れる隅田川(旧称・大川)の派川(春海運河)に架る橋が、相生橋(あいおいばし)。橋の中ほどには中の島があり江東区立中の島公園が整備されています。現在の橋は、平成10年12月

厩橋

東京都台東区(西岸)と墨田区(東岸)の間を流れる隅田川に架るレトロな橋が、厩橋(うまやばし)。現存する橋は、関東大震災後の昭和4年9月、帝都復興計画に基づいて東京市復興局が架橋した橋。地盤の良さを反映して、隅田川で唯一の3連アーチ橋です。帝

 

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