東京都文京区大塚5丁目にある真言宗豊山派の大本山が護国寺。5代将軍・徳川綱吉の生母・桂昌院(3代将軍・徳川家光の側室)の願いから、桂昌院の祈願寺として創建された寺ですが、境内には文化14年(1817年)に築かれた富士塚が現存し、音羽富士と通称され、江戸八富士のひとつに数えられています。
都内に現存する富士塚で5番目に古いもの
高さ6mほどの音羽富士は、山護講が文化14年(1817年)に築いたもので、明治18年に護国寺本堂の西側から、現在地に移設されています(平成元年に修復)。
移築されているものを含め、都内に現存する富士塚としては、高田富士、千駄ヶ谷富士、鉄砲洲富士、十条富士に次いで古いものです。
合目石(ごうめいし)などの石碑は30基ほどが現存し、一合目から十合目までの石が置かれ、御胎内(おたいない)も築かれています。
山頂には木之花咲耶姫(このはなさくやひめ)を祭神とする浅間神社が祀られていますが、神仏習合時代には浅間大神の本地仏は大日如来とされ、富士講も仏教色が強いものでした(日本古来の神道に修験道、仏教が習合したのが富士講です)。
富士講の山護講は昭和30年代に廃絶しています。
江戸時代中期、富士講は全盛を迎え、文化・文政年間(1804年〜1830年)以降、江戸市中に多くの富士塚が築かれ、次第に街道沿いなど富士塚の築山が近郊にも広まっていきました。
富士塚に登拝すれば、実際に富士山に登ったのと同じ御利益(ごりやく)が期待できると喧伝され、富士講のシンボルとして信者集めの手段、講中の結束としても有効だったと推測できます。
江戸八富士・江戸七富士
本来は、現在の早稲田大学の構内にあった高田富士と合わせ、江戸八富士と呼ばれていましたが、現在は江戸七富士に。
高田富士は、昭和38年、早稲田大学の拡張に伴って水稲荷神社とともに甘泉園公園横(新宿区西早稲田3丁目)に移っています。
とはいうものの、江古田富士など多くの富士塚は、江戸市中ではなく、その近郊の村にあるので、江戸界隈七富士というのが正しい呼び方になります。
・高田富士(甘泉園公園横)
・品川富士(品川神社境内)
・千駄ヶ谷富士(鳩森八幡神社境内)
・下谷坂本富士(小野照崎神社境内)/国の 重要有形民俗文化財「下谷坂本の富士塚」
・江古田富士(茅原浅間神社境内)/国の重要有形民俗文化財「江古田の富士塚」
・十条富士(十条冨士神社境内)
・音羽富士(護国寺境内)
・高松富士(富士浅間神社境内)
音羽富士(護国寺) | |
名称 | 音羽富士(護国寺)/おとわふじ(ごこくじ) |
所在地 | 東京都文京区大塚5-40-1 |
関連HP | 護国寺公式ホームページ |
電車・バスで | 東京メトロ有楽町線護国寺駅から徒歩すぐ |
ドライブで | 首都高速5号線護国寺出口から約500m |
駐車場 | 桂昌殿駐車場(70台/有料)を利用 |
問い合わせ | 護国寺 TEL:03-3941-0764/FAX:03-3941-0721 |
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