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伊興寺町

伊興寺町

東京都足立区東伊興4丁目一帯に、関東大震災後に寺院が移転して誕生した寺町が伊興寺町(いこうてらまち)。その寺町を歩く伊興寺町散策路が整備され、古都の寺町のような雰囲気を醸し出しています。桂昌院の墓がある法受寺のほか、東陽寺、正安寺、浄光寺、善久寺、長安寺、常福寺、本行寺など寺が集中。

関東大震災後に移転した14の寺院が寺町を形成

関東大震災後、昭和4年頃に焼け野原となった浅草、下谷、本所などから、14の寺院が伊興に移転。
そのうち13の寺院(長安寺・善久寺・浄光寺・法受寺・栄寿院・正楽寺・専念寺・正安寺・東陽寺・本行寺・常福寺・易行院・蓮念寺)が、伊興狭間(現在の東伊興4丁目)の一地域に集中し、寺町を形成しています。
少し離れた伊興本町1丁目に歌川広重で有名な東岳寺もあり、散策に最適です。

伊興氷川神社まで続く桜並木があり、東京の寺町としては烏山寺町(世田谷区)とともに有名だったとか。
桜並木は、太平洋戦争末期に燃料として切られてしまい、今はありません。
見沼用水も水を引いた保木間掘親水水路が道沿い(寺町の北辺、伊興遺跡公園前の道)にあり、多くは暗渠になっていますが橋なども残されています。
寺町の中央を通る道(常福寺、専念寺北側)が、かつての谷地を通る狭間道(はざまみち)と通称される道です。

花川戸助六の墓があることから助六寺と通称される易行院(浅草から伊興に移転)は、5代目・三遊亭圓楽の実家だった寺で、圓楽師匠の墓もあります。
常福寺(浅草から移転)には、「昭和の爆笑王」初代・林家三平(はやしやさんぺい)と父である7代目・林家正蔵(はやしやしょうぞう)の墓(海老名家の墓)があります。

あまり知られていませんが、東京都内には、明暦の大火や関東大震災などをきっかけに伊興寺町(足立区)のほか、烏山寺町(世田谷区)、高円寺南寺町(杉並区)、上高田寺町(明治39年〜明治42年に形成/中野区)、十一ヶ寺寺町(田島山十一ヶ寺島園/練馬区)、吉祥寺寺町(四軒寺/武蔵野市)などが形成されています。

伊興寺町
名称 伊興寺町/いこうてらまち
所在地 東京都足立区東伊興4丁目
関連HP 足立区観光交流協会公式ホームページ
電車・バスで 東武スカイツリーライン西新井駅から東武バス竹の塚車庫行き竹の塚車庫下車
駐車場 周辺の有料駐車場を利用
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

法受寺(桂昌院の墓)

東京都足立区東伊興4丁目にある阿弥陀如来を本尊とする浄土宗の寺が、法受寺。正式名は普賢山新幡随院法受寺で、境内には3代将軍・徳川家光の側室で、5代将軍・徳川綱吉の生母となった桂昌院の墓があります。もともとは安養寺にあったものですが、関東大震

伊興遺跡公園

東京都足立区伊興にある古墳時代の集落跡、祭祀遺跡を中心とした複合遺跡が、伊興遺跡(いこういせき)。一帯は伊興遺跡公園として整備され、竪穴住居、方形周溝墓(ほうけいしゅうこうぼ)が復元されています。併設して伊興遺跡公園展示館が建ち、出土した遺

伊興遺跡公園展示館

東京都足立区伊興にある古墳時代の集落跡、祭祀遺跡を中心とした複合遺跡が、伊興遺跡(いこういせき)。一帯は伊興遺跡公園として整備され、出土品を展示するガイダンス施設の伊興遺跡公園展示館が併設されています。伊興遺跡から出土した貴重な遺物を展示縄

渕の宮(伊興氷川神社)

東京都足立区東伊興2丁目にある古社が、渕の宮と呼ばれる伊興氷川神社(いこうひかわじんじゃ)。大宮の氷川社から分霊を勧請して創建した神社で、足立区内最古の氷川社。縄文海進後、海が後退していくなかで、低湿地で渕が多くあった地に勧請したのが渕の宮

 

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