伊興遺跡公園

伊興遺跡公園

東京都足立区伊興にある古墳時代の集落跡、祭祀遺跡を中心とした複合遺跡が、伊興遺跡(いこういせき)。一帯は伊興遺跡公園として整備され、竪穴住居、方形周溝墓(ほうけいしゅうこうぼ)が復元されています。併設して伊興遺跡公園展示館が建ち、出土した遺物を展示。

足立区内最大の遺跡は、古墳時代の祭祀遺跡

伊興遺跡公園
復元された方形周溝墓

綾瀬川の支流、毛長川流域の湿地帯で、出土品から古墳時代には水田での稲作、川での漁と半農半漁の生活をしていたことが判明しています。
縄文海進のピーク時(6500年前〜 6000年前)には現在の足立区では大半の土地が海中に没し、その後徐々に干潟が生まれ、陸地化が進んだ時期(縄文時代後期~晩期前半)になると、水辺にムラが形成されたと推測できます。
毛長川が古利根川・古荒川の本流となった縄文時代晩期後半~弥生時代には、人々の営みはなく、古利根川・古荒川が東遷し、毛長川が小さな河川となった弥生時代終末期~古墳時代になると、本格的なムラが形成され、再び人々の営みが生まれたのです。
毛長川の河道の埋積が進んだ奈良時代以降は、祭祀場、官衙関連施設のみとなり、集落としての営みは見当たりません。

中世には完全に生活の痕跡がないことから、遺跡の中心となる時代は古墳時代ということになります。
足立区内最大の遺跡ですが、周辺は市街化が進み、かろうじてその一部が伊興遺跡公園として残されたもの。
都内ではまれな古墳時代の祭祀遺跡です。

伊興遺跡からは、縄文時代末頃の縄文土器や、古墳時代中期の集落遺構と祭祀遺物などが出土しています。
復元された方形周溝墓は、墓の周囲に溝を方形に掘り、その内部に土を盛った墳丘を築いて遺体を埋葬したもので、古墳の前身となったスタイル。
同じ足立区内の舎人遺跡(とねりいせき)からは、足立区最古となる古墳時代前期の方形周溝墓が発見されています。

伊興遺跡公園
名称 伊興遺跡公園/いこういせきこうえん
所在地 東京都足立区東伊興4-9-1
関連HP 足立区観光交流協会公式ホームページ
電車・バスで 東武鉄道竹塚駅・日暮里・舎人ライナー舎人駅から徒歩20分
ドライブで 首都高速足立入谷ランプから約3km
駐車場 8台/無料
問い合わせ 足立区立伊興遺跡公園展示館 TEL:03-3898-9111/FAX:03-3898-9111
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
伊興遺跡公園展示館

伊興遺跡公園展示館

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