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御成門

御成門

東京都港区芝公園3丁目、東京プリンスホテルの駐車場北側にあるのが御成門(おなりもん)。都営三田線の駅名にもなっている門ですが、その場所を知っている人は少ない、まさに知る人ぞ知る門。江戸時代に、将軍が増上寺に参詣する際にこの門を使ったのが名の由来です。

江戸時代、将軍はこの門をくぐって増上寺を参詣

江戸時代、増上寺の北側、現在の東京プリンスホテルの敷地には満6歳で夭逝した7代将軍・徳川家継(とくがわいえつぐ)の有章院霊廟(ゆうしょういんれいびょう)、2代将軍・徳川秀忠の台徳院霊廟(たいとくいんれいびょう)が広がっていました(旧台徳院霊廟惣門、有章院霊廟二天門のみ現存)。
さらにその北、現在、港区立みなと図書館の建つ芝公園4号地には、増上寺方丈があり、徳川将軍などが参詣する場合にも、この方丈で召し換えや謁見を行なっていました。

将軍はまず、方丈に出向き、それから御成門をくぐって台徳院霊廟、有章院霊廟を経て、増上寺の黒本尊に参詣したのです。

江戸時代、御成門は現在の御成門交差点にありましたが、明治25年の東京市区改正計画で、内幸町増上寺三門を経て芝公園に至る道路が新設された際に、現在の位置に移築されています。

明治維新の上知令(あげちれい=土地没収命令)で増上寺は多くの土地や塔頭を失い、さらに東京大空襲で霊廟を焼失し、かつての境内の多くの部分が芝公園、東京プリンスホテル、オフィスなどになっているので、御成門も駐車場横にひっそりと残されているのです。

都営三田線の御成門駅は、昭和48年11月27日開業。
昭和44年には港区立御成門中学校も開校しているので、御成門という地名はなくとも(明治維新で幕府・将軍を意味する「御」の付く地名、町名は敬遠されるように)、将軍参詣の門は駅名と学校名として残されています。

ちなみに増上寺関係で、東京大空襲から焼け残った建築物には、御成門のほか、三解脱門(さんげだつもん)、旧方丈門(黒門)、旧台徳院霊廟惣門、有章院霊廟二天門、徳川将軍家墓所鋳抜門(徳川家宣の霊廟・文昭院霊廟の中門を移築)、経蔵があります。

御成門
名称 御成門/おなりもん
所在地 東京都港区芝公園3-2-25
関連HP 港区観光協会公式ホームページ
電車・バスで 都営地下鉄御成門駅から徒歩3分
ドライブで 首都高速芝公園ランプから約500m
駐車場 周辺の有料駐車場を利用
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

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増上寺・旧方丈門(黒門)

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