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【意外に知らない】 津軽海峡は、太平洋? それとも日本海?

津軽海峡

かつて青函連絡船が青森港と函館港を結んだ津軽海峡。懐メロでは石川さゆりの『津軽海峡・冬景色』でも歌われた津軽海峡。日本海と太平洋をつなぐ海峡で、地下の青函トンネルには新幹線も走っています。さてさて本州と北海道を結ぶ大動脈にもなっている津軽海峡は、太平洋、それとも日本海なのでしょうか?

実は津軽海峡は西から東に対馬暖流が流れている!

意外に知られていませんが津軽海峡の中央部分はなんと「公海」。
日本政府が領海法の附則第2項の規定に基づき、領海の幅を基線から3海里(約5.5km)に制限した特定海域のひとつです(特定海域=宗谷海峡、津軽海峡、対馬海峡西・東水道、大隅海峡)。

中国、ロシアの艦隊が通過することもある公海扱いの津軽海峡ですが、実は江戸時代には蝦夷地(北海道)唯一の藩主となる松前藩主は、参勤交代の際はまさにこの海峡を渡ることが命がけでした。
これは、津軽海峡には高さ2m〜3mの波が立ち、強風の日が多いという荒々しい海だからです。

江戸時代の初期には白神岬(北海道松前郡松前町/北海道最南端の岬)と龍飛崎(たっぴざき/青森県東津軽郡外ヶ浜町、津軽半島の最北端の岬)の間の「龍飛・白神・中の潮」という最も危険な海峡を渡ることを避け(上の図を参照)、対岸の津軽半島の北西部の小泊村(現・青森県北津軽郡中泊町)に上陸しています。

太平洋と日本海を分ける境界線は、北海道側の亀田半島にある恵山岬(えさんみさき/函館市)と本州側(青森県側)の下北半島の先端・尻屋崎(しりやざき)を結ぶ48kmの線で、その西側は津軽海峡ということになります。

津軽海峡自体は白神岬と龍飛崎を結ぶ線の東側、太平洋との境界線までなので、実はすっぽりと日本海ということになります。
つまり、青森港(陸奥湾)は、なんと日本海だったことに。

津軽海峡の海流の流れは、日本海を北上した対馬海流(暖流)の一部が津軽海峡に入り、津軽暖流となり太平洋に抜け、北から来る親潮にぶつかる流れです。
日本海を北上する対馬海流は北海道の西海岸、オロロンライン沿いに北上し、宗谷海峡へと向かう流れもありますが、実はメインの流れは津軽海峡に流入して津軽暖流となる流れで、その意味でも津軽海峡は日本海といえるのです。

津軽海峡は好漁場で、むつ湾、青森港へは対馬海流の分流、津軽海流が流れ込み養殖ホタテの名産地となっています。

函館と青森を結ぶ津軽海峡フェリー
【意外に知らない】 津軽海峡は、太平洋? それとも日本海?
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

恵山岬(恵山岬灯台)

函館の東45km、太平洋と日本海の境に突き出した断崖の岬。亀田半島東端に位置する岬先端部は一巡する車道がないため、北側の椴法華(とどほっけ)側からのアプローチとなります。岬の突端には、明治23年に初点灯、昭和24年に再建した恵山岬灯台が建っ

尻屋崎(尻屋埼灯台)

下北半島東端の岬。先端は草原状となり白亜の尻屋埼灯台が建っています。灯台は明治9年、「日本の灯台の父」と称されるブラントンによって設計された灯台で、レンガ造りの灯台としては日本一の高さ。「日本の灯台50選」にも選定。周辺の草原には南部藩の牧

白神岬

松前町にある北海道最南端の岬で、本州最北端の大間崎(下北半島)から15kmほど南に位置しています。対岸の津軽半島最北端の竜飛崎からは19.2kmで、晴れていれば本州を眺望します。国内で見ることができる野鳥500種類のうちセンダイムシクイ、メ

龍飛崎

津軽半島の突端に位置する岬が龍飛崎(たっぴざき)。太宰治はその形状を「あとは海にころげ落ちるばかりだ」と表現しています(『津軽』より)。山並みがいきなり海に落ちる突端が龍飛崎で高台には龍飛埼灯台が建っています。「ここは本州の袋小路だ。読者も

 

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