鳥取県米子市淀江町にある墳丘長61.2mの前方後円墳が、石馬谷古墳(いしうまだにこふん)。向山古墳群(むこうやまこふんぐん)のなかの、小枝山古墳群の5号墳で、九州に多く、本州では唯一となる石人石馬(せきじんせきば=人馬を模した石造彫刻)の出土で知られる古墳で、国の史跡に指定。
日本で2ヶ所しか出土していない石馬が出土
2段の墳丘からは、円筒埴輪、形象埴輪が出土指定しています。
明治35年、日本初の人類学者といわれる坪井正五郎(つぼいしょうごろう)が上淀廃寺跡近くに鎮座する古社・天神垣神社(あめのかみがきじんじゃ)で、そこに祀られる石馬を発見。
上淀集落の山裾にある石馬谷古墳のそばに立てられ、江戸時代にはすでに「石馬大明神」として祀られていたもので、石馬谷古墳出土と推測できるのです。
体長150cm、体高90cmという往時の在来馬とほぼ同じ大きさがあり、大山から産出される角閃石安山岩の巨岩を削って造られています。
前脚は失われ、胴体と後脚は補修接合されていますが、鞍、手綱(たずな)、 鐙(あぶみ)などの馬具が装着された状態が写実的に表現されています。
古墳、そして石馬の築造は、6世紀中葉。
古墳に石人・石馬と呼ばれる石造彫刻を並べる習慣は、古墳時代中期の九州北部(現在の福岡県、熊本県)独特の習慣で、本州で出土が確認されるのは石馬谷古墳のみ。
古代に山陰の首長と北九州の首長の間で日本海を通じての交流があったことを立証する貴重な石馬となっているのです。
国の重要文化財に指定され、上淀白鳳の丘展示館にレプリカが展示されています(実物は天神垣神社収蔵庫で保管)。
ちなみに14基の古墳が国の史跡に指定される向山古墳群では、向山4号墳(墳丘長64.5m、6世紀前葉)→長者ヶ平古墳(ちょうじゃがなるこふん/金銅製の副葬品が出土、墳丘長48.5m、6世紀中葉)→石馬谷古墳(石馬が出土/墳丘長61.2m、6世紀中葉)→岩屋古墳(人や動物を模した埴輪が出土/墳丘長52m、6世紀後葉)の順に代々の首長が埋葬されたと推測でき、この地域の首長系譜をたどることができます。
一帯は、伯耆古代の丘公園として園路、案内板が整備されています。
向山古墳群から出土した遺物などは「上淀白鳳の丘展示館」に展示。
石馬谷古墳 | |
名称 | 石馬谷古墳/いしうまだにこふん |
所在地 | 鳥取県米子市淀江町福岡 |
関連HP | 米子市公式ホームページ |
ドライブで | 山陰自動車道淀江ICから約1km |
駐車場 | あり |
問い合わせ | 米子市文化振興課 TEL:0859-23-5436/FAX:0859-23-5414 |
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