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石川さゆりのヒット曲『津軽海峡・冬景色』で主人公が乗った夜行列車は何?

急行八甲田

昭和52年1月1日に発売され、同年末の第19回日本レコード大賞歌唱賞を獲得した『津軽海峡・冬景色』。演歌を代表する楽曲として親しまれる名曲ですが、主人公が乗った「上野発の夜行列車」はいった何だったのでしょう。常磐線経由の夜行急行「十和田4号」だという有力な説も・・・。

「北海道ワイド周遊券」で北海道を目指した時代

作詞・阿久悠、作曲・三木たかしの黄金コンビで、石川さゆりが歌って大ヒット。
作詞の阿久悠は、前年の昭和51年、『北の宿から』(都はるみ)で第18回日本レコード大賞、昭和52年にも『勝手にしやがれ』(沢田研二)で第19回日本レコード大賞、さらに昭和53年にも『UFO』( ピンク・レディー)で第20回日本レコード大賞受賞と3年連続のレコード大賞という円熟期。

昭和52年には『思秋期』も作詩・阿久悠、作曲と編曲・三木たかしで歌唱賞という黄金コンビで、歌謡曲もまさに黄金時代でした。

昭和52年の円相場は1ドル240円、まだまだ海外旅行に手が届かない時代に、多くの旅人は長い休みが取れると「北海道ワイド周遊券」(北海道内の国鉄、国鉄バスに乗り放題)を手にして、北海道を目指しました。

当時の北海道の旅はまだまだ鉄道とフェリー(東京からは苫小牧と釧路を結んでフェリーが就航)の時代で、青函トンネルがなかったため、上野駅から夜行列車で青森駅を目指し、早朝に青函連絡船に乗り継いで、函館に上陸という、昔ながらの方法でした。

注目は急行「八甲田」、そして急行「十和田」

そんな時代を背景に生まれたのが『津軽海峡・冬景色』です。

上野駅からは東北本線経由の特急「はくつる」、急行「八甲田」、常磐線経由特急「ゆうづる」、急行「十和田」がありましたが、特急、急行の指定席券は1ヶ月前の発売と同時に争奪戦が始まる時代だったので、傷心の女性が、1ヶ月前にみどりの窓口に並んで、青森行きの座席指定券を購入とは考えられません。
というわけで、該当するのは急行「八甲田」、あるいは急行「十和田」ということに。
このほか奥羽本線回りの急行「津軽」(故郷に錦を飾る「出世列車」とも)もありましたが、秋田経由のため、青森到着は昼となり、北海道に渡るには不向きで、除外できます。

こうして急行「八甲田」、急行「十和田」に絞られますが、ともに寝台車の連結は少なく(「十和田3号」が20系でA寝台、B寝台連結)、ボックス席で夜を明かすという夜行列車。
当時は上野発、青森行きの夜行列車は、多客期には20本くらい出発しており、臨時列車も頻発。

この急行「八甲田」、急行「十和田」はともに周遊券利用者御用達の列車で、阿久悠の設定する、北海道を目指し、自立した女性(「『女』として描かれている流行歌を、『女性』に書き換えられないか。」阿久悠の『作詞家憲法十五条』の6)が飛び乗る夜行列車にはぴったりです。

多くの鉄道ファンは、連絡船の乗り継ぎに着目し、連絡船に向かう人の群れというシーンからして、接続の良い列車という分析で、上野駅23:21発、青森着11:40:着の「十和田4号」で、12:05出航の青函連絡船21便に乗り継いだと推測しています。

阿久悠は映画のシーンのような情景を織り込んでいるので(「歌手をかたりべの役から、ドラマの主人公に役替えすることも必要ではないか」『作詞家憲法十五条』の9)、かなり正確な設定をしているとも考えられ、ひょっとすると「十和田4号」こそ、阿久悠の考えた「上野発の夜行列車」だったのかもしれません。

「歌は時代とのキャッチボール。時代の中の隠れた飢餓に命中することが、 ヒットではなかろうか」(『作詞家憲法十五条』の15)と考える阿久悠。
昭和47年3月15日、「ひかりは西へ」をキャッチフレーズに山陽新幹線新大阪駅~岡山駅間が開業、昭和50年3月10日には岡山駅〜博多駅間が開業し、旅は高速化時代が到来しつつありました。
それでも新幹線、近代的な特急列車では、センチメンタルな情景は描けません。

青函連絡船の利用者も昭和49年からは減少に転じ、「失われつつあったセンチメンタルな旅」への飢餓を、阿久悠は巧みに汲み取ったもいえるでしょう。

龍飛崎(歌詞には龍飛岬)に立つ『津軽海峡・冬景色』歌碑
石川さゆりのヒット曲『津軽海峡・冬景色』で主人公が乗った夜行列車は何?
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

津軽海峡冬景色歌謡碑|青森市

青森県青森市、青函連絡船メモリアルシップ八甲田丸が係留されるふ頭にあるのが、津軽海峡冬景色歌謡碑。外ヶ浜町、龍飛埼灯台(外ヶ浜町)近くにも『津軽海峡・冬景色』の歌碑はありますが、外ヶ浜町の歌碑は津軽海峡を眺望する歌碑で、青森港の方は、歌の舞

津軽海峡冬景色歌謡碑

作詞・阿久悠(あくゆう)、作曲・編曲三木たかしという黄金コンビで昭和52年に大ヒットした演歌が石川さゆりが歌った『津軽海峡・冬景色』。その歌碑が立つのが、津軽海峡を見下ろす龍飛崎の高台です。歌碑は、ボタンを押すと「ごらんあれが竜飛岬北のはず

 

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