【知られざるニッポン】vol.73 アルプス一万尺の歌詞は29番まで、その誕生の由来と歌詞を紹介!

アルプス一万尺

ボーイスカウトの先駆者である中野忠八がスカウト用に作詩した『むこうのお山』の替え歌が『アルプス一万尺』。元歌は、アメリカ民謡で独立戦争時の愛国歌『ヤンキードゥードゥル(Yankee Doodle)』です。手遊び歌としても知られる『アルプス一万尺』、実は29番まで歌詞があります。

『アルプス一万尺』はこうして誕生!

元歌は、アメリカ民謡で独立戦争時の愛国歌『ヤンキードゥードゥル(Yankee Doodle)』で、日本での初演奏は、嘉永6年(1853年)、ペリー提督が久里浜に上陸し、フィルモア・アメリカ合衆国大統領の国書を提出し、日本の「開国」を求めた際です(鼓笛隊による演奏を随行画家のヴィルヘルム・ハイネが描いています)。

昭和25年発行の『ボーイスカウト歌集』の『むこうのお山』はアメリカ民謡(『ヤンキードゥードゥル(Yankee Doodle)』と推測されています)を元に、中野忠八が5番までの歌詞を付けています。

「1番:向こうのお山に黒雲かかれば、今日は来そうだ大夕立が
備えよ常に干物片づけ、テントに雨水入らぬように」

つまり、『むこうのお山』は、ボーイスカウトのキャンプの心得を歌ったものでした。

この『むこうのお山』をベースに、複数の人々によって多様な歌詞が付けられて誕生した替え歌が、『アルプス一万尺』。
戦後、昭和30年代ころまでは空前の登山ブームで、その登山ブームを背景に、長野県安曇野を発祥とする民謡『安曇節』などを取り込みながら、山男たちが作り上げたのが29番まである『アルプス一万尺』です。

昭和37年にはNHK『みんなのうた』の放送の際、東京少年少女合唱団が歌っているので、この頃にはすでに定着していたことがわかります。

『アルプス一万尺』の歌詞を画像付きで解説

1:アルプス一万尺 小槍の上で アルペン踊りを さぁ 踊りましょ

アルプス一万尺=小槍

小槍というのは槍ヶ岳のすぐ横に寄り添う岩峰のこと。
小槍へは通常の登山道はなく、ロッククライミングで到達しますが、とても踊れるようなスペースはありません。
「アルペン踊り」というのは正式な踊りがあるわけではなく、輪になって仲間達と回りながら踊ることをイメージしたものです。

2:昨日見た夢 でっかいちいさい夢だよ のみがリュックしょって 富士登山

突然富士山が登場しますが、アルプス一万尺で見た夢ということだと推測できます。
槍ヶ岳の山頂などからは富士山も視認可能。

3:岩魚釣る子に 山路を聞けば 雲のかなたを 竿で指す

黒部川や梓川の上流部にはイワナ(岩魚)が生息していますが、国立公園内であるため(昭和9年、中部山岳国立公園制定)、釣りをすることはできません。
ウエストンを案内した上高地の猟師、上條嘉門次ゆかりの嘉門次小屋の岩魚も、養殖の岩魚です(かつては明神池で養殖されていました)。

嘉門次小屋の岩魚
嘉門次小屋では囲炉裏で焼く岩魚を味わうことができます

4:お花畑で 昼寝をすれば 蝶々が飛んできて キスをする

北アルプスはほぼ2500mあたりが森林限界なので、それから上部はハイマツ帯と高山植物群落、ガレ場ということに。
涸沢カール、岳沢カールなどのカール内、白馬岳の山上、立山の室堂平、雲の平、五色ヶ原などにはお花畑が広がっています。

白馬岳のお花畑
白馬岳、稜線上のお花畑

5:雪渓光るよ 雷鳥いずこに エーデルヴァイス そこかしこ

スイスの国花でもあるエーデルワイス(EDELWEISS)ですが、『アルプス一万尺』ではあえてドイツ語風にエーデルヴァイスと発音しています。
日本アルプスにある本場ヨーロッパアルプスのエーデルワイスにもっとも近い種類は、木曽駒ヶ岳に咲くコマウスユキソウです。
北アルプスではミネウスユキソウが、エーデルワイスの仲間です。

コマウスユキソウ
エーデルワイスに似たコマウスユキソウ

6:一万尺に テントを張れば 星のランプに 手が届く

1万尺は標高に直せば3030m。
日本アルプスでキャンプは指定地でしかできませんが、白出(しらだし)のコルに位置する標高3000mの穂高岳山荘テント場、北穂高岳山頂直下の北穂高小屋(標高3100m=日本アルプスの山小屋としては最高所)、のテント場、槍ヶ岳の肩に建つ槍ヶ岳山荘(標高3080m)のテント場の3ヶ所であれば、一万尺にテントを張ることができます。

穂高岳山荘テント場

7:キャンプサイトに カッコウ鳴いて 霧の中から 朝が来る

乗鞍高原や上高地(いわゆる五千尺)ではキビタキ、コマドリ、オオルリ、カッコウなどが春になると繁殖のため南の国から渡来してきます(いわゆる夏鳥)。
ということで、キャンプサイトというのは、上高地でいえば小梨平キャンプ場、徳沢キャンプ場ということに。

小梨平キャンプ場
小梨平キャンプ場から眺める涸沢カール、穂高連峰

8:染めてやりたや あの娘の袖を お花畑の 花模様

9:蝶々でさえも 二匹でいるのに なぜに僕だけ 一人ぽち

10:トントン拍子に 話が進み キスする時に 目が覚めた

11:山のこだまは 帰ってくるけど 僕のラブレター 返ってこない

12:キャンプファイヤーで センチになって 可愛いあのこの 夢を見る

キャンプファイヤーがベースキャンプでの定番だった時代の歌詞で、現在では国立公園内でキャンプファイアーはできません。

13:お花畑で 昼寝をすれば 可愛いあのこの 夢を見る

14:夢で見るよじャ ほれよが浅い ほんとに好きなら 眠られぬ

15:雲より高い この頂で お山の大将 俺一人

16:チンネの頭に ザイルをかけて パイプ吹かせば 胸が湧く

固有名詞でいうと北アルプス剣岳三の窓の東側にある鋭鋒ですが、単に尖った峰とも解釈できます。
ただし、17番にチンネが出てくるので、三の窓のチンネと推測できます。

17:剣のテラスに ハンマー振れば ハーケン歌うよ 青空に

北アルプス北部の鋭鋒、剱岳のテラスの意。
ハンマーとハーケンなので、ロッククライミングをしていることに。

剱岳
立山側の別山から眺めた剱岳

18:山は荒れても 心の中は いつも天国 夢がある

19:槍や穂高は かくれて見えぬ 見えぬあたりが 槍穂高

場所は特定できませんが、飛騨側(岐阜県側)なら、笠ヶ岳や槍平、信州側(長野県側)なら蝶ヶ岳、常念岳が槍穂の展望台として有名です。

常念小屋から眺める槍穂高
常念小屋から眺める残雪の槍穂高

20:命捧げて 恋するものに 何故に冷たい 岩の肌

この場合の恋するはもちろん、穂高岳などの岩場。

21:ザイル担いで 穂高の山へ 明日は男の 度胸試し

井上靖の小説『氷壁』の舞台となったのは前穂高岳東壁で、昭和30年1月2日に起こったナイロンザイル切断事件がモデルとなっています。

22:穂高のルンゼに ザイルを捌いて ヨーデル唄えば 雲が湧く

ルンゼ(ドイツ語:Runse)とは、氷雪などの溶けることで、岩壁の割れ目のようになった地形で、落石の危険が大な場所。
ヨーデル(ドイツ語: jodeln)は、ファルセット(裏声)と低音域の胸声(地声)を急速に繰り返し切り替えて歌う、アルプス地方の歌唱法。

23:西穂に登れば 奥穂が招く まねくその手が ジャンダルム

西穂高岳〜奥穂高岳は、登山道としては日本アルプスでも最難関のルートで、その途中にあるのがジャンダルム (Gendarme) です。
ジャンダルムとは本場のアルプス山脈、アイガーにある垂直の絶壁の通称に由来し、フランス語で番兵のこと。
奥穂高岳の前衛峰という意味があります。

ジャンダルム
ジャンダルム

24:槍はムコ殿 穂高はヨメご 中でリンキの 焼が岳

槍穂高連峰の最南に位置する焼岳は、大正4年の噴火で大正池を生み出した活火山。
それを意識した歌詞で、悋気(リンキ)とは焼きもちを焼くこと。

焼岳
噴煙上げる焼岳

25:槍と穂高を 番兵において お花畑で 花を摘む

「花を摘む」というのは女性がトイレに行くこと、もしくはトイレがないため岩陰などで用を足すこと(現在では携帯トイレの携行が必要です)。

26:槍と穂高を 番兵に立てて 鹿島めがけて キジを撃つ

鹿島めがけての鹿島は後立山連峰(うしろたてやまれんぽう)の双耳峰・鹿島槍ヶ岳のこと。
「キジを撃つ」は男性がトイレに行くこと、もしくはトイレがないため岩陰などで用を足すこと(現在では携帯トイレの携行が必要です)。

鹿島槍ヶ岳
鹿島槍ヶ岳から眺めた槍穂高連峰(右端の鋭鋒が槍ヶ岳)、かなり遠い!

27:槍の頭で 小キジを撃てば 高瀬と梓と 泣き別れ

これは『安曇節』にある「槍で別れた 梓と高瀬 めぐり逢うのが 押野崎」を意識させる歌詞で、槍ヶ岳で立ちションをすると高瀬川と梓川とに分かれるとの意。

槍ヶ岳山頂
槍ヶ岳山頂

28:名残つきない 大正池 またも見返す 穂高岳

バスで釜トンネル(旧釜トンネル)を抜ける直前、大正池の横を走る場所で、車窓から穂高岳を振り返るという下山シーンです。

大正池
大正池から眺めた穂高連峰

29:まめで逢いましょ また来年も 山で桜の 咲く頃に

上高地に咲く桜は、ミヤマザクラ(深山桜)。
5月下旬~6月くらいに咲くので、来年も6月くらいになったら、また山に入るよということになります。

上高地に咲くミヤマザクラ
上高地に咲くミヤマザクラ
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

 

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ラジオ・テレビレジャー記者会会員/旅ソムリエ。 旅の手帖編集部を経て、まっぷるマガジン地域版の立ち上げ、編集。昭文社ガイドブックのシリーズ企画立案、編集を行なう。その後、ソフトバンクでウエブと連動の旅行雑誌等を制作、出版。愛知万博公式ガイドブックを制作。以降、旅のウエブ、宿泊サイトにコンテンツ提供、カーナビ、ポータルサイトなどマルチメディアの編集に移行。

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