【知られざるニッポン】vol.71 唯一立ち入れる大王墓・今城塚古墳

今城塚古墳

大阪府高槻市は、古墳時代初期から末期までの古墳がある日本でも有数の古墳群地帯。継体天皇の大王陵だと推測される今城塚古墳(いましろづかこふん)は、実は自由に立ち入ることのできる、日本唯一の大王墓(だいおうぼ)です。

まずは、古墳時代の大王墓をチェック

一般に古墳時代といわれるのは、「古墳が築かれた時代」のことで、弥生時代末期の3世紀中頃〜飛鳥時代初頭の7世紀頃頃のこと。
そのなかで、圧倒的な規模を誇る前方後円墳は、古代の中央政権といえるヤマト王権の大王の墓。

ヤマト王権最初の大王墓とされるのは、奈良県桜井市の箸墓古墳で、3世紀後半の築造。
卑弥呼(ひみこ)の墓という説もある大王墓の始まりの墓で、墳丘長280mの前方後円墳です。

ヤマト王権最後の墓は、奈良県橿原市(かしはらし)の丸山古墳で、6世紀後半の築造。
墳丘長318mで奈良県最大、全国でも6位という巨大な前方後円墳です。
飛鳥時代という年代区分は、 崇峻天皇5年(592年)〜和銅3年(710年)の118年間、飛鳥に宮廷・都が置かれていた時代で、古墳時代の最終期に重なっています。
ヤマト王権最後の墓・丸山古墳の横穴式石室の全長は28.4mで、全国第1位の規模ですが、飛鳥時代の石造文化が大いに反映しているといえるでしょう。

古墳名(宮内庁の名称)所在地(古墳群名)墳丘長
1期箸墓古墳(大市墓)奈良県桜井市(纒向古墳群)280m
2期西殿塚古墳(衾田陵)奈良県天理市(大和古墳群)219m
3期渋谷向山古墳(山辺道上陵)奈良県天理市(柳本古墳群)300m
3期五社神古墳(狭城盾列池上陵)奈良県奈良市(佐紀盾列古墳群)300m
4期宝来山古墳(菅原伏見東陵)奈良県奈良市227m
5期佐紀石塚山古墳(狭城盾列池後陵)奈良県奈良市(佐紀盾列古墳群)218m
6期仲津山古墳(仲津山陵)大阪府藤井寺市(古市古墳群)290m
6期上石津ミサンザイ古墳(百舌鳥耳原南陵)大阪府堺市西区(百舌鳥古墳群)365m
6期市庭古墳(楊梅陵)奈良県奈良市(佐紀盾列古墳群)253m
6期墓山古墳(応神天皇惠我藻伏崗陵の陪冢)大阪府羽曳野市(古市古墳群)225m
7期誉田御廟山古墳(惠我藻伏崗陵)大阪府羽曳野市(古市古墳群)425m
7期ウワナベ古墳(八田皇女の陵墓参考地)奈良県奈良市(佐紀盾列古墳群)270m
7期ヒシアゲ古墳(平城坂上陵)奈良県奈良市(佐紀盾列古墳群)219m
7期太田茶臼山古墳(三嶋藍野陵)大阪府茨木市(三島古墳群)226m
8期大仙陵古墳(百舌鳥耳原中陵)大阪府堺市堺区(古市古墳群)525m
8期ニサンザイ古墳(東百舌鳥陵墓参考地)大阪府堺市北区(古市古墳群)300m
8期市野山古墳(惠我長野北陵)大阪府藤井寺市(古市古墳群)227m
9期岡ミサンザイ古墳(恵我長野西陵)大阪府藤井寺市(古市古墳群)245m
10期河内大塚山古墳(大塚陵墓参考地)大阪府松原市・羽曳野市335m
10期今城塚古墳大阪府高槻市190m
10期平田梅山古墳(檜隈坂合陵)奈良県高市郡明日香村140m
11期丸山古墳(畝傍陵墓参考地)奈良県橿原市318m
▼印は大王墓として少し疑問が付いているもの(同時代の古墳に比べて規模が小さいため)

大王墓の墳丘に上って、大阪の古代に思いを馳せる

ここで紹介した大王墓、もしくは大王墓の可能性がある墓は22基ですが、そのうち、宮内庁が管理する陵墓(天皇陵、皇族の墓)に治定(じじょう)した墓、あるいは陵墓参考地となるのが21基あり、唯一の例外が、今城塚古墳なのです。

宮内庁は、陵墓に治定、あるいは参考地とした陵墓に関しては、「静安と尊厳」を保つために人の立入を原則として認めていません。
しかも、これまで学術調査も行なわれていないので、実際の被葬者はもちろん、大王墓の築かれた正確な年代もわからないケースも多々あるのです。

近年では、仁徳天皇の陵墓として疑わしいとされる大仙陵古墳など、一部の大王墓で宮内庁との共同調査が行なわれていますが、発掘調査の現地公開などが行なわれないため、一般には陵墓の横に設けられた拝所(はいじょ)や、周濠の外側から眺めるだけになっています。

今城塚古墳は、6世紀のヤマト王権の大王墓と推定され、6世紀前半(531年)に没した継体天皇(けいたいてんのう)の陵墓とするのが学界の定説(宮内庁は大阪府茨木市にある太田茶臼山古墳を陵墓に治定)。
というわけで、宮内庁の陵墓指定から外れているため、日本国内で、唯一、墳丘に上ることができる大王墓が、そして発掘調査が可能な大王墓が、今城塚古墳ということになるのです(高槻市立埋蔵文化財調査センターのよる発掘調査が継続的に行なわれています)。

しかも、今城塚古墳は、淀川流域に築かれた唯一の大王墓。
ヤマト王権の終末期に、淀川流域に大王墓が1基だけ築かれたことになり、その点でも古代史のロマンが広がります。
築造された時代には、朝鮮半島の百済が新羅・高句麗からの脅威を受け、倭国に支援を求めていた時代で、同時に新羅と通じた九州の筑紫君・磐井が反乱(磐井の乱)を起こすなど、国際的にも緊張が高まっていた時代です。

朝鮮との関係を重視したヤマト王権の大王(継体天皇か)が、難波津に近い淀川流域に王宮を置き、没後に淀川流域で唯一の大王墓となる今城塚古墳が築かれたとすれば、古墳の上に立つことによって、大阪の古代史が見えてくるかもしれないのです。

今城塚古墳周辺は公園化され、埴輪(はにわ)も復元されて並んでいますが、今城塚古墳で発掘された埴輪を焼成した跡(日本最古、最大級の埴輪工場の跡)も史跡新池ハニワ工場公園(しせきしんいけはにわこうばこうえん)として整備され、ハニワ窯跡などが見学できるので、大王墓のテラスに並んだ埴輪がどうやって焼成されたかを知ることができます。

【高槻市】クローズアップNOW 今城塚古代歴史館開館10周年記念特別展「大王墓 今城塚古墳の実像」前編 古墳づくり
今城塚古墳
名称 今城塚古墳/いましろづかこふん
所在地 大阪府高槻市郡家新町
関連HP 高槻市公式ホームページ
電車・バスで JR摂津富田駅から徒歩25分
駐車場 今城塚古代歴史館駐車場(35台/無料)を利用
問い合わせ 今城塚古代歴史館 TEL:072-682-0820
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
今城塚古墳

今城塚古墳

大阪府高槻市にある古墳時代後期の6世紀前半に築造された前方後円墳が今城塚古墳(いましろづかこふん)。墳丘長190mと6世紀前半の前方後円墳としては最大級の古墳で、国の史跡になっています。一帯は今城塚古墳公園として、家、人物、動物など200点

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ラジオ・テレビレジャー記者会会員/旅ソムリエ。 旅の手帖編集部を経て、まっぷるマガジン地域版の立ち上げ、編集。昭文社ガイドブックのシリーズ企画立案、編集を行なう。その後、ソフトバンクでウエブと連動の旅行雑誌等を制作、出版。愛知万博公式ガイドブックを制作。以降、旅のウエブ、宿泊サイトにコンテンツ提供、カーナビ、ポータルサイトなどマルチメディアの編集に移行。

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