今城塚古墳

今城塚古墳

大阪府高槻市にある古墳時代後期の6世紀前半に築造された前方後円墳が今城塚古墳(いましろづかこふん)。墳丘長190mと6世紀前半の前方後円墳としては最大級の古墳で、国の史跡になっています。一帯は今城塚古墳公園として、家、人物、動物など200点以上の形象埴輪が並ぶ埴輪祭祀場(はにわさいしば)などが整備されています。

淀川流域に築かれた唯一の大王墓

墳丘長190m、二重の濠が巡らされ、総長約350m・総幅約360mと淀川流域では最大規模の墳墓となっています(古墳時代の大王墓としては唯一、淀川流域に築かれた古墳)。
6世紀のヤマト政権の大王墓と推定され、6世紀前半(531年)に没した継体天皇(けいたいてんのう)の陵墓とするのが学界の定説(宮内庁は大阪府茨木市にある太田茶臼山古墳を陵墓に治定)。
今城塚古墳は宮内庁の治定は受けていないので、発掘調査が可能な大王陵のひとつで、高槻市立埋蔵文化財調査センターのよる発掘調査が継続的に行なわれています。

内濠の中央部に長さ65m、幅10mにわたって突き出して築かれた埴輪祭祀場は、大王墓の埴輪祭祀の実態を示す今城塚古墳最大の特徴となる遺構。
人物や家などの形象埴輪を136点以上配列した埴輪祭祀場で、現在は発掘調査位置に埴輪をレプリカで復元しています。
今城塚古墳の埴輪は新池埴輪窯(現在のハニワ工場公園として整備)で焼かれたもの。
高さ170cm、日本最大の家形埴輪など発掘された埴輪などの遺物は「今城塚古代歴史館」に展示されています。

慶長元年(1596年)の伏見大地震によって墳丘が地すべり的に崩壊した痕跡も残されています(墳丘の盛土の多くが内濠へ滑落)。

ちなみに、今城塚という名称は、織田信長が三好家を攻めた永禄11年(1568年)の摂津侵攻に際し築いた城砦だったこと由来し、江戸時代の絵図などにも今城陵(いまきのみささぎ)と記されています。

名称 今城塚古墳/いましろづかこふん
所在地 大阪府高槻市郡家新町
関連HP 高槻市公式ホームページ
電車・バスで JR摂津富田駅から徒歩25分
駐車場 今城塚古代歴史館駐車場(35台/無料)を利用
問い合わせ 今城塚古代歴史館 TEL:072-682-0820
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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