浜辺で亀を助けた漁師が竜宮城で楽しい日々を過ごし、故郷へと戻ると300年の歳月が流れていたという伽話(おとぎばなし)が、『浦島太郎』。その伽話の原話は、なんと和銅6年(713年)に編纂が始まった『丹後国風土記』にあり、主人公・浦島太郎に似た人物・浦嶋子(うらのしまこ)も登場しています。
浦嶋子は常世で姫とめでたく結婚

『丹後国風土記』自体は現存していませんが、鎌倉時代中期に書き写されたの『風土記逸文(山陰道編)』に与謝郡日置の里(現・京都府宮津市日置)筒川の村に漁師・浦嶋子が、漁の最中に亀を釣り上げ、嶋子は誘われるままに常世へと連れられるという逸話が記載されています。
嶋子は常世で姫と結婚し、夢のような3年間を過ごしたといい、その詳細も描かれていますが(『浦島太郎』では教育的配慮からカットされています)、やがて望郷の念にかられてひとり開けてはならぬという「玉櫛笥」(たまくしげ)を手に帰郷。
すると故郷は見知らぬ世界に。
それもそのはずで300年が経っていたのです。
失意のうちに「玉櫛笥」を開くと、一瞬にして老人に変わり果てたというお話。
この話を淳和天皇が耳にして天長2年(825年)、浦嶋子を祀って宇良神社(うらのかむやしろ=現在の浦嶋神社)を創建したと伝えられています。
その浦嶋神社には、室町時代前半に編纂された宇良神社の縁起『紙本著色浦嶋明神縁起』も現存(国の重要文化財)、『浦島太郎』の話が普及する以前の古文書なので、まさにこの地が浦島伝説のルーツであることを裏付けています。

浦島太郎は、海人族で、大陸との交流の話だった!?

『丹後国風土記』には、浦嶋子の祖先は、日下部首(くさかべのおびと)とわざわざ記しています。
日下部姓は今も西日本には数多い姓ですが、もともとは丹後半島を拠点に日本海で活躍した海人族。
漁民というよりも、海上交流で大陸とも伝わる文化導入の窓口としての役割を担っていたのです。
養蚕、鉄などの最先端技術も、この海人族によってもたらされたと推測できます。
浦嶋子の暮らした筒川村に関しては、場所の特定は困難ですが、明治22年まで、現在の伊根町北部の内陸に筒川村が存在していました)。
丹後半島先端の経ヶ岬から「伊根の舟屋」で知られる伊根町にかけての海岸線に筒川浦もあるので、そこが浦嶋子が活躍した場所ということになります。
同じ京都府の舞鶴市にある浦入遺跡からは全長8mという国内最大級の大型丸木舟が出土。
そのサイズからして外洋航路の船と考えられるので、十数名の漕ぎ手が船を進め、十数隻の船団で大陸を目指したのが、海人族・日下部首だったことも、容易に推測できるのです。
とすれば、弥生時代後期から古墳時代前期に実在した海人族の若者が、海で遭難、ようやく故郷に帰り着くと、長い年月が経っていて知る人もいなかったという逸話を物語にしたのかもしれません。
実は、浦嶋子説話に酷似する説話は、中国・江南省にあります。
それが、洞庭湖の竜女説話。
江南の水人によって丹後半島にもたらされたという説もありますが、いずれにしろ古代における環日本海の大交流が『浦島太郎』の伝説を生んだことは確実です。
子どもたちが浜辺でいじめる亀を助けという道徳的な話は、明治時代に国定教科書に採用されてからの脚色。
巖谷小波(いわやさざなみ)が、亀を助ける話、そして約束を破ると悪いことが起きる(玉手箱の話)という教訓めいたストーリーに改変しています。

| 『浦島太郎』は丹後国(京都府)に実在した!? | |
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