和歌山県和歌山市、和歌浦湾に面し『万葉集』に詠われた景勝地が和歌浦(わかのうら)。当地を訪れた聖武天皇が、弱浜(わかのはま)の名を明光浦(あかのうら)に改めたと伝わり、聖武天皇行幸の際、山部赤人が詠んだ歌から名がある歌枕の地となっています。和歌川河口に突き出した砂嘴(さし)の海岸が、片男波(かたおなみ)です。
砂嘴には片男波公園が整備されている
和歌川河口部に伸びる砂嘴には片男波公園があり、この地で詠まれた万葉歌の歌碑を配した「万葉の小路」、日本庭園、片男波海水浴場、万葉集について学べる「万葉館」、レストラン、芝生広場、駐車場などが整備されています。
片男波は、砂嘴の内側にある玉津島と石造の不老橋で結ばれていますが、これは嘉永3年(1850年)に10代藩主・徳川治宝(とくがわはるとみ/德川治寶)が建造したもの。
周辺には三断橋で渡る妹背山の観海閣(初代藩主・徳川頼宣が建てた木造の水上楼閣、現在はコンクリートで再建)、玉津島神社、和歌浦天満宮、紀州東照宮、海禅院(多宝塔)など名所旧跡が点在、万葉歌碑も数多く立ち、国の名勝になっています。
「若浦爾 鹽滿來者 滷乎無美 葦邊乎指天 多頭鳴渡 」
「若の浦に 潮満ち来れば 潟をなみ 葦辺をさして 鶴(たづ)鳴き渡る」
山部赤人『万葉集』巻六919番
「片男波」という地名は、この「滷乎無美」(潟をなみ)という句から生まれた地名。
平安時代に都の皇族・貴族たちが熊野詣でを行なうようになると、帰路、和歌浦に来遊することが増え、詠歌上達の神を祀る玉津島神社にも参詣するようになりました。
延喜元年(901年)、菅原道真が大宰府左遷の際に、風避けの際に和歌浦に立ち寄ったことがゆかりで、康保年間(964年〜 968年)には和歌浦天満宮も創建されています。
和歌山城が徳川御三家の居城となると、和歌浦には紀州東照宮も建立され、藩主・徳川頼宣も景観の保護や整備に努めています。
歌川広重は、全国各国の絶景を1景ずつ描いた『六十余州名所図会』にもこの和歌浦を選んでいます。
こうした和歌浦全体が、現在、国の名勝になっています。
名称 | 和歌浦/わかのうら |
所在地 | 和歌山県和歌山市和歌浦中3 |
関連HP | 和歌の浦観光協会公式ホームページ |
電車・バスで | JR和歌山駅から和歌山バス新和歌浦行きで25分、権現前下車、徒歩15分 |
ドライブで | 阪和自動車道和歌山南スマートICから約7km |
駐車場 | 片男波公園駐車場(219台/有料) |
問い合わせ | 和歌の浦観光協会 TEL:073-444-4349 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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