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『魏志倭人伝』の旅(2)一支國の王都へ!

一支國

中国の歴史書『三国志』中にある『魏志倭人伝』は、3世紀後半に記された倭人の記録。朝鮮半島から海を渡ってますは對馬國(現・長崎県対馬市)へ。再び海路目指したのが一支國(いきこく)です。『魏志倭人伝』には「一大國」と記されていますが一支國の誤記で、現在の壱岐島(いきのしま/長崎県壱岐市)と推測できます。

一支國の王都は、原の辻遺跡で確定!

一支國王都にはこんな湊があった

『魏志倭人伝』に「一大國」と記されていますが、中国三国時代の魏を中心に書かれた歴史書『魏略逸文』など、ほかの史書では一支國となっているので、明らかなる誤記だと推測できます。

その一支國(一大國)、『魏志倭人伝』の對馬國からの旅程は、
「南渡一海千餘里、名曰瀚海、至一大國」。

現代語に訳せば、南に瀚海と称する海を渡って千余里で一大國に至るとなります。

一支國は、現在の壱岐島(長崎県壱岐市)を領有した古代の王国。
対馬から壱岐は『魏志倭人伝』には「千餘里」と記されていますが、実際は約75km。
つまり『魏志倭人伝』の対馬→壱岐間の1里は約75mという計算に。
中国的な「千里迢迢」(せんりはるばる)という感覚だったのかもしれません。

現在は対馬・厳原港(いづはらこう)〜壱岐・芦辺港(あしべこう)は、九州郵船の超高速船で1時間5分、フェリーで2時間15分という短い船旅で到達できます。

對馬國の王都はまだ解明されていませんが、一支國の王都は、原の辻遺跡(はるのつじいせき)と特定されています。

原の辻遺跡は、弥生時代から古墳時代の初めに栄えた国内を代表する弥生時代の環濠集落跡で、国の特別史跡に指定。
登呂遺跡(静岡県)、吉野ヶ里遺跡(佐賀県)と並ぶ、弥生時代の重要遺跡のひとつです。


長崎県で2番目に広い平野である「深江田原」にあり、3重の環濠に囲まれた集落域の規模は24ha、その周辺の遺構を含めると遺跡としての広がりは100haに及ぶことが判明しています。

中国の史書に記されたクニの中心集落の実態が明らかになったという点では、まさに貴重な例となっています。

原の辻遺跡の発掘風景
深江田原と呼ばれる平野部に築かれた王都
『魏志倭人伝』の旅(2)一支國の王都へ!
所在地 長崎県壱岐市芦辺町深江鶴亀触1092-1
場所 一支国王都(原の辻遺跡)
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

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