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東大寺・二月堂『お水取り』(修二会)

お水取りで知られる東大寺・二月堂の『修二会』(しゅにえ)の正式名称は「十一面悔過」(じゅういちめんけか)。二月堂の本尊である十一面観世音菩薩の宝前で、懺悔(さんげ)することを意味しており、僧侶たちが世の中の罪や穢(けがれ)を一身に背負って祈るという法会で、3月1日から2週間にわたって行なわれます。

被写体として大人気なのは3月12日の「籠松明」

大仏開眼の752(天平勝宝4)年、東大寺開山の良弁僧正(ろうべんそうじょう)の高弟、実忠和尚(じっちゅうかしょう)が創始したという歴史ある行事が東大寺・二月堂の『修二会』。

戦火の最中にも『修二会』だけは「不退の行法」として、1250有余年もの間一度も絶えることなく、連綿と今日に至るまで引き継がれてきた儀式となっています。

もともとは旧暦の2月1日から行なわれていたので、「二月に修する法会」という意味から「修二会」と呼ばれるようになったもの。

3月13日の深夜1:30頃には、「お水取り」といって、毎年3月2日に若狭井(わかさい/福井県小浜市下根来)の井戸で、奈良東大寺二月堂への「お水送り」の送水神事が行なわれ、10日かけて二月堂に送られた「お香水」(おこうずい=観音様にお供えする水)を汲み上げる儀式が行なわれています。

ちなみに、「お水取り」の井戸は閼伽井屋という建物の中にあり、当役の者以外は、誰も入ることも見ることもできません。

この「お香水」の行を勤める練行衆(れんぎょうしゅう)の道明かりとして、大きな松明(たいまつ)に火が灯されるので「お松明」という名も付いているのです。

なお、その年「お水取り」で汲まれた水を容れる甕(「次第香水」)があり、二月堂の湯屋の井戸水で割ったものを小瓶に入れて「二月堂受納所」で一般に授与(頒布)されています。

カメラマンなどが詰めかける有名な「お松明(たいまつ)」は、3月1日~3月14日の修二会本行の期間中、毎晩、祈りを繰り返す僧侶を堂へ導く際に30分ほど行なわれます。
とくに3月12日は「籠松明」(かごたいまつ)となって、長さ8mほどの大松明が十数本、二月堂に上ります。
詰めかける参詣者は例年2万人という人出となります。

東大寺・二月堂『お水取り』(修二会)
Water-Drawing Ceremony (Toudaiji)
開催日3月1日~3月14日=二月堂にて修二会本行
3月15日=満行
所在地奈良県奈良市雑司町406-1
場所東大寺・二月堂
関連HP東大寺公式ホームページ
電車・バスで近鉄奈良線・JR奈良駅から奈良交通バス市内循環で4~7分、大仏殿春日大社前下車、徒歩5分
ドライブで京奈和自動車道木津ICから約6.4kmで県営登大路南駐車場
駐車場県営奈良登大路自動車駐車場(275台/有料)
春秋の観光シーズンには県営奈良大仏殿前自動車駐車場は観光バス専用となるため注意を
問い合わせ東大寺寺務所 TEL:0742-22-5511/FAX:0742-22-0808
備考「お松明」は3月14日まで日夜、祈りを繰り返す僧侶を堂へ導くもので、19:00(12日は「籠松明」となり19:30頃、14日は18:30頃)から堂に上ります。
※時間は例年のものです。直前に東大寺に確認してください。

【新・南都八景】東大寺「二月堂の眺め」

奈良市の世界文化遺産「古都奈良の文化財」は令和5年で登録から25年の節目を迎えますが、奈良市観光協会では、12月1日、SNS映えする「新・南都八景」を発表。そのうちのひとつが東大寺「二月堂の眺め」。国宝に指定される二月堂には、テラス状の舞台

鵜の瀬

福井県小浜市を流れる遠敷川(おにゅうがわ)の中流に位置する淵で、環境省の名水百選に選定されるのが鵜の瀬。奈良・東大寺二月堂のお水取りに先立ち、3月2日に「お水送り」が行なわれる聖地として知られています。「お水送り」の地に隣接して鵜の瀬公園が

東大寺

728(神亀4)年、聖武天皇が皇太子である基親王(もといしんのう)供養のため建立した金鍾山寺(きんしょうさんじ)が東大寺の始まり。741(天平13)年に聖武天皇が国分寺建立の詔を出した際に、金鍾山寺を大和国分寺として金光明寺(きんこうみょう

東大寺・大仏

奈良の大仏と呼ばれ親しまれている、銅造の盧舎那仏坐像(るしゃなぶつざぞう)。華厳経の本尊で、743(天平15)年に聖武天皇の勅願により鋳造されたもの。東大寺の本尊にもなっています。752(天平勝宝4)年の開眼で国宝に指定されています。像高1

東大寺・金銅八角灯籠

東大寺の大仏殿(金堂)の前に配されているのが金銅八角灯籠。見逃しがちな灯籠ですが、実はこの灯籠、大仏開眼と同じ年、752(天平勝宝4)年の鋳造と推測され、国宝に指定されているのです。音声菩薩、獅子が配された羽目板にも注目を[gallery amp-lightbox="true"

東大寺・二月堂

大仏開眼の大供養が行なわれた752(天平勝宝4)年に始まった歴史ある行事が、東大寺・二月堂に伝わる『修二会』(しゅにえ・正しくは十一面悔過、通称「お水取り」)。現存する東大寺・二月堂は、1667(寛文7)年、「お水取り」の最中に失火で焼失し

東大寺・鐘楼

東大寺の梵鐘は、大仏開眼と同年の752(天平勝宝4)年の鋳造といわれ、高さ3.86m、口径2.71m、重さ26.3tの大鐘。平重衡(たいらのしげひら=平清盛の五男)の南都焼討で焼失後、鐘を吊るした鐘楼は鎌倉時代の承元年間(1207〜1210

東大寺・法華堂(三月堂)

東大寺で現存する最古の遺構が国宝の法華堂。三月堂とも呼ばれ、733年(天平5)の創建と伝わっています。旧暦の3月に『法華経』を講義する法会『法華会』(ほっけえ)が行なわれたことから、法華堂の名と三月堂の通称が生まれました。東大寺に現存する数

東大寺・中門

東大寺は、741(天平13)年、聖武天皇の詔で、国家鎮護のため諸国に建立を命じた国分寺(金光明四天王護国之寺)と国分尼寺(法華滅罪之寺)の総本山。南側から南大門、中門、金堂(仏殿)、講堂と続く東大寺式伽藍配置は、諸国の国分寺の手本になってい

東大寺・南大門

東大寺南大門の創建は奈良時代ですが、当初のものは平安時代に大風で倒壊。現存する南大門は、鎌倉時代、東大寺を復興した重源上人(ちょうげんしょうにん)により再建されたもので、1199(正治元)年から4年の歳月をかけ建てられた壮大な門。運慶や快慶

国宝の東大寺の大鐘で、除夜の鐘を撞こう!

東大寺の鐘楼に架かる大鐘は、大仏開眼と同年の752(天平勝宝4)年の鋳造で国宝。この天平の大鐘を除夜の鐘に撞くことができます。先着800名に限るので、整理券を獲得する必要があります。佐保川蛍、東大寺鐘、三笠山雪、春日野鹿、南円堂藤、猿沢池月

 

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