ガリバーは観音崎に上陸、江戸で皇帝に謁見!?

アイルランドの風刺作家ジョナサン・スウィフトが1726年に出版した『ガリヴァー旅行記』。意外に知られていませんが、第三篇で1709年に日本に来たことが記されています。その上陸地点は、観音崎という説が有力。ガリバーが上陸したのは江戸湾の西側と読み解けるザモスキ(Xamoschi)なのです。

ガリバーのモデルは、三浦按針という説も

『ガリヴァー旅行記』に記載された日本地図、蝦夷地(北海道)が異様に大きい

原題は、『船医から始まり後に複数の船の船長となったレミュエル・ガリヴァーによる、世界の諸僻地への旅行記四篇』 (Travels into Several Remote Nations of the World, in Four Parts. By Lemuel Gulliver, First a Surgeon, and then a Captain of Several Ships)という長いタイトルで、『ガリヴァー旅行記』(Gulliver’s Travels)の名で知られています。

第1篇・リリパット国渡航記(1699年5月4日 〜1702年4月3日)、第2篇・ブロブディンナグ国渡航記(1702年6月20日〜 1706年6月3日)、第3篇・ラピュータ、バルニバービ、ラグナグ、グラブダブドリッブおよび日本への渡航記(1706年8月5日〜1710年4月16日)、第4篇・フウイヌム国渡航記(1710年9月7日〜1715年12月5日)と主人公・ガリヴァーが旅する年代順に4篇で構成されています。

仮想の国ばかりの中で、唯一、実在するのが日本。
作者のジョナサン・スウィフトは、イギリス人及びイギリス社会に対する批判を込めた内容で(出版社が大きく手を入れていますが)、イギリスとの対比として、はるか東洋の日本への旅を取り入れたのかもしれません。

第3篇で、ガリヴァーは、ラピュータ(Laputa)の隣にある小さな島・ラグナグ (Luggnagg/架空の島)から船で日本を目指し、ザモスキ(Xamoschi)に上陸しています。
横須賀市では、このザモスキ(Xamoschi)こそが、観音崎だと断言。
ガリヴァー上陸300年となる2009年には、地元は大いに盛り上がりを見せたのです。

なぜ観音崎なのかといえば、日本の東南部、狭い海峡の奥に皇帝の住む江戸があり、海峡の西側に上陸したことが記されているから。
どうやら、当時の江戸湾(現・東京湾)、その西側なので、浦賀・観音崎あたりがドンピシャリということに。

(原文)
In six days I found a vessel ready to carry me to Japan, and spent fifteen days in the voyage.
We landed at a small port town called Xamoschi, situated on the south-east part of Japan; the town lies on the western point where there is a narrow strait, leading northward into a long arm of the sea, upon the north-west part of which, Yedo the metropolis stands.

1709年5月6日にラグナグ国王に別れを告げ、ラグナグ島の港に6日間滞在、15日を要して日本に到達しているので、ザモスキ(Xamoschi)には同年1709年5月27日に着いた計算になります。

実は、リーフデ号のイギリス人航海士のウィリアム・アダムス(William Adams)は、日本に漂着後、徳川家康の外交顧問に就任、観音崎のある三浦半島に領地を有したことで、三浦按針を名乗っていますが、このウィリアム・アダムスがイギリスに送っていた書簡を、作者のジョナサン・スウィフトは手に入れていました。
当時、日本地図もオランダで出版されていたので、ジョナサン・スウィフトはある程度正確な情報を手に入れ、旅行記にもガリバーが踏み絵を強いられる姿、江戸(Yedo)から長崎(Nangasac)へと旅して、長崎港からオランダ船で日本を離れることも触れられているのです。

加えて筆記体(当時の書体)で記したザモスキ(Xamoschi)の文字は、観音崎(Kannonzaki)にかなり似通っているということも、大きな理由(ポルトガル語の地図で下総がXimoʃaと記されており、現在の千葉県とする説もありますが、地理関係が一致しません)。

当時、少しずつ情報が入ってきていた東洋の彼方の国、日本を取り入れることで、ラピュータ(Laputa)なども「ひょっとして実在する」と錯覚させる効果があったのかもしれません。
日本国内の描写も、資料で調べた結果、意外に正確なので、という説も、信憑性があるのです。
異国で骨を埋めたウィリアム・アダムスが「ガリバーのモデル」と考える説もありますが、ひょっとしたら、ひょっとするのかもしれません。

ザモスキ(Xamoschi)と観音崎(Kannonzaki)、確かに似ています
スウィフトも目にしたであろう日本地図
ガリバーは観音崎に上陸、江戸で皇帝に謁見!?
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

 

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