山口県下関市長府にある曹洞宗の名刹で、長府毛利家の菩提寺が功山寺(こうざんじ)。嘉歴2年(1327年)創建の曹洞宗の寺で、創建当初は長福寺(臨済宗)と称していました。創建以前の元応2年(1320年)建築という純禅宗様建築の仏殿は、国宝。幕末には高杉晋作が倒幕の挙兵をした「維新回天の旗揚げ」の地としても知られています。
禅宗様の仏殿は国宝!
室町時代には足利将軍家、さらに大内氏の庇護を受け繁栄。
弘治3年(1557年)、毛利氏の防長経略により大内義長(おおうちよしなが)が自刃したのがこの寺(当時は長福寺)で、大内義長らが自刃したのは、現在の功山寺仏殿だと推測され、墓地には義長主従の墓とみられる宝篋印塔が3基残されています。
大内義長自害後(事実上の周防大内氏滅亡)、寺は一時衰退しますが、江戸時代初期の慶長7年(1602年)、初代長府藩主・毛利秀元(もうりひでもと=毛利元就の孫)が曹洞宗の笑山寺として再興。
慶安3年(1650年)、毛利秀元の法号(戒名:智門寺功山玄誉大居士)をとって功山寺に寺名を変えています。
幕末の政変で都落ちした七卿のうち三条実美(さんじょうさねとみ)ら5人の公卿が潜居し、高杉晋作が元治元年12月15日(1864年)、この部屋で五卿に挨拶し(決起兵が私兵でないという証を得るための挨拶)、藩論統一のために挙兵(「維新回天の旗揚げ」=功山寺挙兵)をし、長州藩を再び討幕へと導いた歴史的な場所としても知られ、門前に回天義挙の碑、境内には騎乗姿の高杉晋作像も立てられています。
また、書院には功山寺挙兵をきっかけに明治維新へと大きく動き出した「七卿潜居の間」が残され、見学することも可能。
典型的な禅宗様の仏殿は、柱の墨書により元応2年(1320年)の建立と判明し、国宝。
桜(ソメイヨシノ30本)、紅葉の名所としても知られ、桜の見頃は例年3月下旬~4月上旬、紅葉の見頃は11月中旬~12月上旬。
名称 | 功山寺/こうざんじ |
所在地 | 山口県下関市長府川端1-2-3 |
関連HP | 功山寺公式ホームページ |
電車・バスで | JR下関駅からサンデン交通バス新下関駅方面行きで15分、城下町長府下車、徒歩15分 |
ドライブで | 中国自動車道下関ICから約8km |
駐車場 | 20台/無料 |
問い合わせ | TEL:083-245-0258/FAX:083-245-1332 |
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