覚苑寺

覚苑寺

山口県下関市長府にある長府毛利家菩提所、覚苑寺(かくおんじ)。元禄11年(1698年)、長府毛利藩3代目藩主・毛利綱元(もうりつなもと)が建てた黄檗宗(おうばくしゅう)の寺で、宇治・黄檗山萬福寺7世・悦山道宗禅師(中国福建省の人)を招き創建、長府藩文教興隆の拠点となった名刹です。

毛利綱元、毛利匡広、毛利匡広の墓所

境内には、狩野芳崖(かのうほうがい/寺は狩野家の菩提寺)、乃木希典(のぎまれすけ/江戸・麻布の長府毛利藩邸=現在の毛利庭園で生誕)の銅像や、和同焼の窯元もあります。
元治元年11月17日(1864年12月15日)、初冬の寒さのなか、山口から長府に入った奇兵隊はここを本陣にしています。

長府毛利家の歴代藩主の墓は、功山寺、笑山寺、覚苑寺に分かれており、しかも参勤交代の際、江戸で没することが多かったので、泉岳寺に埋葬されるので国元(長府)には詣り墓がほとんどです。
覚苑寺を建立した毛利綱元は、江戸で没するものの遺体を長府に搬送して覚苑寺に埋葬。
国元で没した6代・毛利匡広(もうりまさひろ=長府藩を再興、享保の大飢饉で被害を受け、藩財政再建のために倹約政策を実施)、13代・毛利元周(もうりもとちか=異国船の来襲を鑑みて、櫛崎城から勝山御殿に藩庁を移管、下関戦争にも参戦)とともに覚苑寺に眠っています。

長州藩の庇護を受け、かつては七堂伽藍を有していましたが、明治初年に寺禄を失い、廃仏毀釈の影響もあり、諸堂は取り壊され、往時の建物で現存するのは鐘楼のみです。
現在の本堂は、同じ黄檗宗の寺で、明治維新で廃寺となった三田尻の醍醐寺から明治8年に移築したもの。
庫裏は、解体された勝山御殿の玄関部分です。

梅や紅葉の名所としても有名で、紅葉の見頃は例年11月中旬~11月下旬。

また、一帯は、和同開珎(わどうかいちん)の長門国鋳銭所の跡でもあり、出土品は下関市立長府博物館に展示されています。
和同開珎は、和銅元年(708年)頃から長門国のほか、武蔵(埼玉県)・近江(滋賀県)・河内(大阪府)・播磨(兵庫県)・太宰府(福岡県)で鋳銭されています。

覚苑寺
名称 覚苑寺/かくおんじ
所在地 山口県下関市長府安養寺3-3-8
関連HP 覚苑寺公式ホームページ
電車・バスで JR下関駅からサンデン交通バス新下関駅方面行きで15分、城下町長府下車、徒歩15分
ドライブで 中国自動車道下関ICから約8km
駐車場 あり
問い合わせ 覚苑寺 TEL:083-245-0649/FAX:083-246-1392
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
功山寺

功山寺

山口県下関市長府にある曹洞宗の名刹で、長府毛利家の菩提寺が功山寺(こうざんじ)。嘉歴2年(1327年)創建の曹洞宗の寺で、創建当初は長福寺(臨済宗)と称していました。創建以前の元応2年(1320年)建築という純禅宗様建築の仏殿は、国宝。幕末

 

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