古江小路

古江小路

山口県下関市長府、長州藩の支藩・長府藩(藩庁は櫛崎城=現・関見台公園)の城下町、長府の長府毛利邸(毛利元敏の建てた邸宅)から東に続く土塀(練塀)が続く道が古江小路(ふるえしょうじ)。この古江小路、そして北の横枕小路(よこまくらしょうじ)は散策に絶好。

実戦を意識した土塀が並ぶ上級武家屋敷街

古江小路

城下町長府の中でも、もっとも城下町の面影を残すといわれる界隈が、古江小路。
横枕小路(よこまくらしょうじ)は、「横、真っ暗」が名の由来と言われますが、古江小路は、「震える」ではなく、かつてこのあたりまで入江だった、つまりは古い江に由来しています。
後に馬場が築かれ、さらに武家屋敷になったのだとか。

周囲の土塀は、合戦に備えての武家屋敷の防衛的配慮から。
古江小路に残る菅家長屋門は、長府藩初代藩主・毛利秀元(もうりひでもと)が京から招き侍医(じい)兼侍講(じこう)職を務めた菅家の長屋門です。

切り盛りした土地に石垣を築き、その上に粘土を練り混ぜた土塀を築く方法で、土塀(練塀)と石垣の背後には植裁が施されています。

長府藩は、藩財政の逼迫を背景に、封建的な階級制度の維持を図るため、江戸時代後期の天保14年(1843年)、「御家中家作之定」を定めて、分不相応の家屋敷を造らないように厳しい制限を加えています。
家老から足軽、さらには「苗字無之者」まで各階層ごとに細かく屋敷の造作を規制。
これに違反したものは速やかに解任するという厳しい定めでした。
古江小路一帯には上級武士の屋敷が並んでいました。

古江小路
名称 古江小路/ふるえしょうじ
所在地 山口県下関市長府古江小路町・長府惣社町
関連HP 長府観光協会公式ホームページ
電車・バスで JR下関駅からサンデン交通バス新下関駅方面行きで15分、城下町長府下車、徒歩5分
ドライブで 中国自動車道下関ICから約7kmで長府観光会館駐車場。駐車場から徒歩5分
駐車場 長府観光会館駐車場(20台/無料)
問い合わせ 下関市観光政策課 TEL:083-254-4697
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
横枕小路

横枕小路

山口県下関市長府、乃木希典(のぎまれすけ)を祭神とする乃木神社の横を東西に抜ける横枕小路(よこまくらしょうじ)は、土塀(練塀)と石垣に囲まれた歴史ある小路。土塀は樹葉に囲まれ、路面も土のままという往時の姿を残し、風情たっぷりです。乃木家の邸

菅家長屋門

菅家長屋門

山口県下関市長府、美しい土塀が続く古江小路(ふるえしょうじ)に現存する長屋門が菅家長屋門(かんけながやもん)。古江小路一帯は藩政時代に上級武士の屋敷が並んでいましたが、菅家も長府藩初代藩主・毛利秀元(もうりひでもと)が京から招き侍医(じい)

長府毛利邸

長府毛利邸

山口県下関市長府、長州藩の支藩だった長府毛利藩の最後の藩主だった長府毛利家14代当主・毛利元敏(もうりもととし)が明治31年に着工し、明治36年6月2日に完成した邸宅が長府毛利邸。明治35年には明治天皇も宿泊した邸宅は、現在、下関の管理とな

 

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