長府毛利邸

長府毛利邸

山口県下関市長府、長州藩の支藩だった長府毛利藩の最後の藩主だった長府毛利家14代当主・毛利元敏(もうりもととし)が明治31年に着工し、明治36年6月2日に完成した邸宅が長府毛利邸。明治35年には明治天皇も宿泊した邸宅は、現在、下関の管理となり、公開されています。

明治35年には明治天皇も宿泊

完成直前の明治35年11月、熊本で行なわれた陸軍特別大演習統監の際、長府毛利邸を行在所(あんざいしょ)にし、11月9日に1泊、さらに帰途にも立ち寄って11月15日に泊まり、火の山砲台を視察しています。
長府駅(山口県)から熊本駅まで鉄道移動しているため、わざわざ長府に寄っていることがわかります(熊本では第六師団の大本営が行在所に)。
明治天皇御宿泊の間は往時のままに現存。

毛利元敏は、幕末に王政復古に尽力したことが認められ、華族令制定の明治17年に子爵となり、明治18年には那須野が原に華族農場を開いています。
詩歌に優れた才能を発揮したことで、明治天皇に気に入られ、明治18年から7年間にわたって宮中御歌所寄人に任じられています。
明治24年にそれを辞して故郷に戻り、邸宅を建て明治41年4月2日に60歳で没しています(墓所は功山寺)。
大正8年まで本邸として利用され、昭和23年に毛利氏が東京に移り、土地・邸宅を下関市へ寄付。
平成10年から一般に公開されています。

武家屋敷造りの重厚な母屋と白壁に囲まれた書院庭園、池泉回遊式庭園、枯山水庭園の3つの庭園があり、日本庭園を眺めながら抹茶をいただくこともできます(菓子付き、有料)。

長府毛利邸近くの古江小路は、長府毛利藩上級武士の屋敷が並んだ地で、美しい土塀の散策路になっています。

長府毛利邸
名称 長府毛利邸/ちょうふもうりてい
所在地 山口県下関市長府惣社町4-10
関連HP 長府毛利邸公式ホームページ
電車・バスで JR下関駅からサンデン交通バス新下関駅方面行きで15分、城下町長府下車、徒歩10分
ドライブで 中国自動車道下関ICから約7km
駐車場 なし
問い合わせ 長府毛利邸 TEL:083-245-8090
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
古江小路

古江小路

山口県下関市長府、長州藩の支藩・長府藩(藩庁は櫛崎城=現・関見台公園)の城下町、長府の長府毛利邸(毛利元敏の建てた邸宅)から東に続く土塀(練塀)が続く道が古江小路(ふるえしょうじ)。この古江小路、そして北の横枕小路(よこまくらしょうじ)は散

長府藩侍屋敷長屋

長府藩侍屋敷長屋

山口県下関市長府侍町にある上級武士の門に付属した長屋の遺構が長府藩侍屋敷長屋。長州藩の支藩・長府藩の家老職で、藩主の警護を務める馬廻役・220石の西家の本門に付属する長屋で、中間が暮らし、供待が西家を訪問した主人を待った場所で、往時の場所か

 

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

最新情報をお届けします

Twitter でニッポン旅マガジンをフォローしよう!

よく読まれている記事

こちらもどうぞ