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萩城三の丸・北の総門

萩城三の丸・北の総門

山口県萩市堀内、萩市伝統的建造物群保存地区に選定される萩城三の丸のうち、旧益田家物見矢倉近くに復元されているのが、北の総門。萩城三の丸(堀内)と城下町とを隔てる北の総門、中の総門、平安古の総門(ひやこのそうもん)3ヶ所あった門のひとつで、現在は北の総門のみが復元されています。

萩城三の丸(堀内)へに入口、外堀脇にあった門

重臣たちの屋敷が並んだ萩城三の丸に入る大手3ヶ所の門(北の総門、中の総門、平安古の総門)のひとつが北の総門。
その東側には南北に外堀が流れ、堀から西側が堀内(萩城内)ということに。
門にはそれぞれ見張り小屋が設けられ、通行手形で城内との往来を厳重に管理し、暮れ六ツ(くれむつ/酉の刻=現在の18:00頃)から明け六ツ(あけむつ/卯の刻=6:00頃)まで、通行することができませんでした。

北の総門は、平成16年11月に「萩開府400年」を記念して復元されたもので、切妻造り本瓦葺の高麗門で、高麗門としては日本最大級の規模を誇っています。
門の前、外堀に架かる土橋には土塀が設置され、この土塀付きの土橋も全国唯一のもの。

貞享4年(1687年)、東西に流れる新堀川が開削され(橋本川河口から松本川河口までを結ぶ三角州を2分する川)、南北に築かれた外堀と結んで、堀の一部として機能しましたが、川の南端に架かる平安橋の堀内側に隣接して平安古総門跡があります(平安古地区に接していることから名の由来)。

北の総門、中の総門横を流れる外堀外堀内側には高い土塁が築かれ、町人町からは内部が見えないように完全に遮蔽分断されていました。
外堀沿いの空き地は、馬場で、いざというときにはここに兵が集まりました。

北の総門近くには、旧益田家物見矢倉、旧繁沢家長屋門、萩博物館があります。

萩城三の丸・北の総門
名称 萩城三の丸・北の総門/はぎじょうさんのまる・きたのそうもん
所在地 山口県萩市堀内
関連HP 萩市観光協会公式ホームページ
電車・バスで JR萩駅から萩循環まぁーるバスで萩博物館前下車、徒歩3分
ドライブで 中国自動車道山口ICから約46km
駐車場 指月第一駐車場(50台/無料)、中央公園駐車場(150台/有料)
問い合わせ 萩市観光課 TEL:0838-25-3139
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

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