赤間神宮にある平教盛、平知盛、平経盛、平教経、平資盛、平清経、平有盛、平盛継、平時子(従二位尼)など平家一門を祀る七盛塚。彦島にある平清盛と合わせて盛の付く武将が7人いるのが七盛塚という名の由来とか。
平家一門の供養塔を江戸時代に集めた塚
関ヶ原合戦(1600年)の頃、関門海峡で頻発する海難事故から「平家の怨霊が騒ぎ出した」と世間が騒ぎ、周囲の墓標を集めて建立したもの。
名前の彫られた板碑の形状から、平安時代末期とか鎌倉時代ではなく、江戸時代初頭と推測されているのです。
壇之浦で没していない武将も含まれることから、赤間神宮の前身、阿弥陀寺の寺域だった紅石山に散在していた供養塔を集めたものだと想像されています。
天明年間(1781年〜1789年)に平家の怨霊騒動が起こったという伝承もありますが、1782(天明2)年刊行の一夕散人著『臥遊奇談』巻2「琵琶秘曲泣幽霊」(びわのひきょくゆうれいをなかしむ)が、すでに、小泉八雲の「耳なし芳一の話」(THE STORY OF MIMI-NASHI-HOICHI)の種本となっているため、天明年間初頭以前にもそういう騒動があったことがわかります。
赤間神宮・七盛塚 | |
名称 | 赤間神宮・七盛塚/あかまじんぐう・ななもりづか |
所在地 | 山口県下関市阿弥陀寺町4-1 |
関連HP | 下関市公式ホームページ |
電車・バスで | JR下関駅からサンデン交通バス山陽方面行きで10分、赤間神宮前下車 |
ドライブで | 中国自動車道下関ICから約3.6km |
駐車場 | 20台/無料 |
問い合わせ | 赤間神宮 TEL:083-231-4138 |
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